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東京高等裁判所 平成2年(ネ)4507号 判決 1992年12月17日

《目次》

主文

事実

第一 申立て

一 控訴人

二 被控訴人ら

第二 当事者の主張

一 原判決の訂正

二 本件附帯控訴に関する主張

1 附帯控訴の範囲

2 附帯控訴の理由

三 当審における当事者の主張

第三 証拠関係

理由

一 当事者

二 本件災害の発生

1 多摩川及び宿河原堰周辺の概況

(一) 狛江付近における多摩川の概況及び改修計画

(二) 宿河原堰設置の経緯

(三) 宿河原堰の構造

(四) 宿河原堰周辺の土地利用状況

2 本件災害の発生の経過

3 本件洪水の規模

三 本件災害の原因

1 宿河原堰及びその周辺河川管理施設の状況と本件災害との関係

(一) 堰本体について

(二) 堰左岸下流取付部護岸について

(三) 小堤について

(四) 高水敷について

(五) 堰と本堤との接続方式について

(六) 河床等について

2 模型実験について

3 本件災害の原因についての総合的考察

四 河川管理の瑕疵

1 河川管理の瑕疵の判断基準

2 本件災害時における宿河原堰及び周辺河川管理施設の安全性

(一) 問題の所在

(二) 本件災害時における河川管理施設等の構造上の安全基準

(三) 具体的検討

(1) 堰の高さ、可動部の比率、固定部の位置について

(2) 堰取付部護岸について

(3) 高水敷保護工について

3 本件災害の予測可能性

(一) 問題の所在

(二) 予測可能性の程度、内容

(三) 本件災害時における予測可能性の有無

(1) 過去の被災例の検討

ア 上宿河原堰の昭和二二年災害からの知見

イ 宿河原堰の昭和三三年災害からの知見

ウ 宿河原堰の昭和四〇年災害からの知見

エ 金丸堰の昭和四六年災害からの知見

(2) 具体的検討

(3) 控訴人の原審における主張に対する判断

(4) 控訴人の当審における主張及び当審提出の意見書に対する判断

(5) 結論

(四) 予測が可能となった時点

4 本件災害の結果回避可能性

(一) 本件災害の結果回避可能性の有無

(二) 控訴人の主張について

(1) 控訴人の原審における主張に対する判断

(2) 控訴人の当審における主張に対する判断

ア 河川管理の一般水準からみた回避措置の困難性

イ 事前の回避措置にかかる諸制約

ウ 事前の危険回避措置の実現困難性

(三) まとめ

5 結語

五 損害

1 原判決の訂正等

2 控訴人の当審における主張に対する判断

3 被控訴人らの当審における主張に対する判断

六 結論

(別紙)

当事者目録

認容金額一覧表

請求金額一覧表

当事者及び代理人 別紙当事者目録のとおり

(以下、控訴人兼附帯被控訴人を「控訴人」といい、被控訴人兼附帯控訴人を「被控訴人」という。)

主文

一  被控訴人伊藤芳男及び同内藤美代子につき本件各控訴及び本件各附帯控訴に基づき、その余の被控訴人らにつき本件各附帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人は、被控訴人らに対し、別紙認容金額一覧表の①欄記載の各金員及び内同表②欄記載の各金員に対する昭和四九年九月四日から、内同表③欄記載の各金員に対する昭和五四年一月二六日から、内同表④欄記載の各金員に対する昭和六二年九月一日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  控訴人のその余の本件各控訴を棄却する。

三  訴訟の総費用は、いずれも控訴人の負担とする。

四  この判決は、第一項1に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  申立て

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  本件各附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二、三審及び差戻審とも被控訴人らの負担とする。

5  仮執行免脱の宣言

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

(一) 控訴人は、被控訴人らに対し、それぞれ別紙請求金額一覧表の①欄記載の金員及びその内同表②欄記載の金員に対する昭和四九年九月四日から、内同表③欄記載の金員に対する昭和五四年一月二六日から、内同表③欄記載の金員に対する昭和六二年九月一日から、内同表⑤欄記載の金員に対する平成三年一二月二六日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、第一、二、三審及び差戻審とも控訴人の負担とする。

3  仮執行の宣言

第二  当事者の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次のとおり付加、訂正するほか原判決事実摘示「第二 当事者の主張」と同一であるから、これを引用する。

一  原判決の訂正

1  原判決一二枚目表六行目冒頭から同七行目の「加藤信」まで、同三三枚目裏四行目の冒頭から「加藤信」までをいずれも「被控訴人加藤ハル、同佐渡島をさめ、同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹、同小西美智子、同菅谷冨代子を除く被控訴人ら及び亡加藤信(訴訟承継人被控訴人加藤ハル)、亡佐渡島平四郎(同佐渡島をさめ)、亡星野正樹(同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹)、亡那須義高(同小西美智子)、亡菅谷政一(同菅谷冨代子)」と各訂正し、同一三枚目表四行目の「堰」」の次に「ないし「本件堰」」を付加する。

2  同六八枚目表九行目の「一四メートル」を「14.25メートル」と、同七七枚目裏一、二行目の「二階建共同住宅一棟115.69平方メートル」を「二階建居宅兼共同住宅一棟122.29平方メートル」と、同裏四行目の「、その後」から同七八枚目表二行目末尾までを「であったが、その後昭和四〇年一〇月にこれをほとんど取り壊して木造亜鉛メッキ鋼板葺モルタルリシン吹付二階建居宅兼共同住宅115.69平方メートルに改築し、さらに昭和四九年七月に右と同じ構造の6.6平方メートルを増築した。)を流失し、この損害額をC方式により算出(一〇万円未満切捨て)すると金九三〇万円を下らない。

計算式 30万9000円×0.994×115.69÷3.3×〔1−(0.018×9)〕+30万9000円×0.994×6.6÷3.3=960万円>930万円」と、同七八枚目裹二行目の「1.5メートル」を「1.65メートル」と各訂正する。

二  本件附帯控訴に関する主張

1  附帯控訴の範囲

被控訴人らは、本訴請求のうち、一般家財、雑損及び慰藉料の各損害費目に関して原判決が認容しなかった部分(但し、被控訴人辰巳栄憲、同横山十四男の一般家財に関する損害中、搬出による減額分を除く。)について附帯控訴を提起し、被控訴人渡辺規男に関する一般家財の請求を二一五万三三三三円から二四〇万円に拡張するほか、慰藉料及び弁護士費用について2のとおり請求を拡張する。

2  附帯控訴の理由

(一) 慰藉料

本件訴訟における各審級を通じて一貫して不当な抗争を続けている控訴人の応訴態度は、被控訴人らの慰藉料として反映されなければならないこと、新品購入の価格及び原価償却分に関する余分な出費等は、時間の経過により高額化していることに鑑みると、被控訴人らの慰藉料額は、従来の請求金額に五割を加算した金額が相当である。被控訴人らの慰藉料額は、次のとおりである。

被控訴人武田孝 三〇〇万円

同伊藤芳男 四五〇万円

同岩井健三 一〇五万円

同柏木克己 四五〇万円

同鈴木正男 四五〇万円

同石原博夫 四五〇万円

同井上義彦 四五〇万円

同尾崎信夫 四五〇万円

同木村昭久 四五〇万円

同宅間三千夫 四五〇万円

同辰巳栄憲 四五〇万円

同横山十四男 四五〇万円

同渡辺規男 三〇〇万円

同田村明 二二五万円

同星野ミエ子 一一二万五〇〇〇円

同星野冬樹 五六万二五〇〇円

同小川元嗣 一〇五万円

同黒田豊 一〇五万円

同佐渡島をさめ 二二五万円

同中納博臣 一〇五万円

同小西美智子 三〇〇万円

同吉澤四郎 四五〇万円

同菅谷冨代子 二二五万円

同内藤正信 二二五万円

同加藤力 一〇五万円

同小西信一 一〇五万円

同竹内久夫 一〇五万円

同水野善之 一〇五万円

同加藤ハル 五二万五〇〇〇円

同百々洋子 五二万五〇〇〇円

(二) 弁護士費用

被控訴人らは、被控訴人代理人らに対し、上告審及び差戻審における訴訟追行を委任し、当審口頭弁論終結後遅滞なく、当審における請求額の一割に相当する金額を報酬として支払う旨約した。右弁護士費用は、本件訴訟の難易度等諸般の事情を勘案すれば、本件災害と相当因果関係にある損害というべきである。

右弁護士費用の金額は、別紙請求金額一覧表④及び⑤欄に各記載のとおりであり、④欄記載の金員については差戻前控訴審の判決言渡日の翌日である昭和六二年九月一日から、⑤欄記載の金員については当審口頭弁論終結の日である平成三年一二月二六日から、各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  当審における当事者の主張

1(一)被控訴人ら

(1) 佐渡島平四郎は、昭和六〇年一二月四日死亡し、被控訴人佐渡島をさめが亡佐渡島平四郎の本件損害賠償請求権を相続した。

(2) 星野正樹は、昭和六三年九月三〇日死亡し、同人の本件損害賠償請求権につき、被控訴人星野ミエ子がその二分の一を、同星野冬樹、同星野智樹がその四分の一を各相続した。

(3) 那須義高は、昭和六三年一二月一四日死亡し、被控訴人小西美智子が亡那須義高の本件損害賠償請求権を相続した。

(4) 菅谷政一は、平成三年六月六日死亡し、被控訴人菅谷冨代子が亡菅谷政一の本件損害賠償請求権を相続した。

(二)  控訴人

被控訴人ら主張の1(一)(1)ないし(4)の事実は認める。

2  その余の当審における当事者双方の主張は、本判決別冊記載のとおりである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一当事者

1  控訴人

控訴人は、一級河川である多摩川を河川法及びそれに基づく政令に従って管理するものであることは当事者間に争いがない。

2  被控訴人ら

被控訴人加藤ハル、同佐渡島をさめ、同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹、同小西美智子、同菅谷冨代子を除く被控訴人ら及び亡加藤信(訴訟承継人被控訴人加藤ハル)、亡佐渡島平四郎(同佐渡島をさめ)、亡星野正樹(同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹)、亡那須義高(同小西美智子)、亡菅谷政一(同菅谷冨代子)は、いずれも、昭和四九年九月一日当時、多摩川左岸沿いの東京都狛江市緒方地区の堤内地に居住し、あるいは同所に土地、家屋を所有していたものであって、後述のとおり、右緒方地先付近の多摩川左岸堤防が決壊し、その後さらに堤内地が浸食されたことにより被害を受けた者であることは当事者間に争いがなく、<書証番号略>、被控訴人田村明、同内藤正信本人尋問の結果によれば、被控訴人らの一部は、右災害に際し、昭和四九年九月一日から同月四日にかけて延べ一〇回にわたって実施された宿河原堰の爆破作業その他の水防活動により家屋、家財の損壊、喪失等の被害を受けた(以上を合わせて以下「本件災害」という。)ことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二本件災害の発生

1  多摩川及び宿河原堰周辺の概況

請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原審における検証の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  狛江付近における多摩川の概況及び改修計画

多摩川は、山梨県、東京都、神奈川県に跨がる河川で、昭和四一年河川法四条に規定する一級河川に指定された。本件被災箇所である狛江市緒方地先は、多摩川の河口から22.4キロメートル付近に位置し、その流れを南東からやや東方へ向きをかえる地点にあたる。狛江付近は、昭和七年以降の多摩川上流改修計画に基づいて本格的に内務省直轄で改修工事が着手される以前は、それまでに造られていた堤防、護岸、水制等によって洪水に対処していた。右改修計画では支川浅川合流点から下流の計画高水流量を毎秒四一七〇立方メートルと定め(なお、狛江地点の計画高水流量が毎秒四一七〇立方メートルとされていたことは当事者間に争いがない。)、この流量を安全に流下させることとしていたので、狛江付近では上下流の河道とバランスのとれた河道断面を確保し、上下流一貫した堤防によって流れを規制し、水衝部には護岸、水制が施工されて河川後背地の土地利用の向上が図られた。この改修によって、狛江付近では旧堤の拡築あるいは新堤の築造が行われ、宿河原堰左岸付近では昭和九年ないし一〇年ころ、上下流の旧堤法線になめらかに接続する新堤が連続堤として在来堤防より川側に築造され、新堤より堤内地側は洪水犯濫を免れる土地となり、昭和二六年、河川管理者であった東京都知事は、本件被災箇所を含む在来堤と新堤との間の高水敷の一部について河川敷地の公用廃止処分をし、その後これを買い受けた業者により宅地開発が進められた。建設大臣は、昭和四一年七月二〇日、多摩川水系工事実施基本計画(以下「基本計画」という。)を策定した。基本計画によれば、右緒方地区付近の計画高水流量は毎秒四一七〇立法メートルとされ、また、この付近の河川部分は、基本計画による改修工事の概成した区間とされ、本件災害時までの間にも右基本計画に照らして新規に改修、整備の必要は認められず、改修計画もなかった。

(二)  宿河原堰設置の経緯

宿河原堰は、多摩川の河口から22.4キロメートル付近で右岸神奈川県川崎市宿河原地先から左岸東京都狛江市緒方地先へ多摩川を横断する稲毛川崎二ケ領用水の取水を目的とした堰である。右用水は、武蔵野開拓のため一六世紀末に工事が着手され、上宿河原、宿河原の順に取水口が設けられ、宿河原取水口は、旧来より右岸の現在とほぼ同一地点にあり、宿河原堰が設置される以前は簡単な竹蛇籠等による導水施設によって取水していた。ところが、大正の始めころから東京市の人口増加と都市の発展に伴い、水道用水の使用量が著しく増加し、上流の羽村堰での取水量が増加したため下流部の流量が著しく減少し、また、大正七年から昭和八年にかけて実施された多摩川改修工事及び昭和七年に着手された多摩川上流改修工事において、所定の流下能力を確保するために掘削築堤工事等が行われた外、関東大震災以来、砂利・砂の需要が激増し、大規模な採取が行われたため河床が低下した。この結果、河川の水位が低下し各種の用水の取入れに支障を来すこととなり、二ケ領用水においても取水に必要な堰上げ高が高くなったため、前記のようにそれ以前から設けられていた蛇籠等の仮設的な構造物を維持することが困難となり、また、洪水のたびごとに堰が決壊流失し農作物も被害を被った。こうした状況の中にあって、東京市は、昭和七年に多摩川の上流に小河内ダムの建設計画をたて、その後この工事計画策定と関連し、神奈川県と東京府は、昭和一一年上宿河原及び宿河原の二堰堤をコンクリート製の堰に改築することを合意し、右工事は神奈川県営事業として実施されることとなった。右計画に基づいて、昭和一二年に神奈川県より河川管理者である同県知事及び東京府知事に対して、河川敷占用及び工作物設置について許可申請がなされ、昭和一五年に両知事よりそれぞれ条件を付されて許可された。なお、計画されたコンクリートの堰は、下流に東京市の水道取水口があることから、河床の伏流水を止めない構造の透過式堰堤とされた。この許可にもとづいて、上宿河原堰は、昭和一六年に着工され同二〇年に完成した。一方、宿河原堰の改築は、昭和一五年に改築の許可を受けたものの着工に至らないまま終戦を迎え、食料増産が国政上の急務とされたため、二ケ領用水においても取水を安定させて増収を図るべく、神奈川県営事業として推進されることとなったが、昭和一二年の許可申請時に比して河床がさらに低下していたので、堰高を大きくする設計変更がなされた。宿河原堰の設置にあたっては、昭和二二年四月に東京都知事宛て、河川敷占用並びに工作物改築設計変更及び工期延長についての許可申請が行われ、同年九月に昭和一五年の許可とほとんど同じ条件が付されて許可された(この時の許可書に当時添付されたと推定される設計図が「当初設計図」であり、また同図に記された設計が「当初設計」である。)。

宿河原堰は、昭和二二年から同二四年にかけて神奈川県営事業として改築されたが、現場での施工にあたっては必ずしも当初設計どおり築造されず、その相違点は次のとおりであった。即ち、第一に、堰の天端標高は当初設計ではA・P19.9メートルであるが、本件災害当時の現状はA・P二〇メートルで一〇センチメートル高かった。第二に、堰の左岸高水敷との取付部については、当初設計では低水路護岸法線が堰の上流面から下流側で堤防側に向かって折れているが、同じく現状は堰上流面から下流約二〇メートルにわたって直線で伸びており、また、堰の右岸の取付部については、当初設計より約七メートル堤防側に後退していた。第三に、左岸取付部は、当初設計ではかん入部の先端から堤防法尻まで根入長四メートルの鉄矢板を一列施工することになっていたが、この施工は行われていなかった。第四に、小堤は、当初設計にはなく、なお、許可条件には「堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には計画高水位迄に混凝土の護岸を施し」となっているが、左岸堤防の護岸は前記小堤が築造された関係から混凝土護岸が施工されていなかった。宿河原堰は、以上のように改築された以後昭和二五年三月に神奈川県から川崎市に移管され、現在まで同市が施設の維持、点検、操作、災害復旧等の管理を行ってきた。

(三)  宿河原堰の構造

宿河原堰は、高さ3.1メートル、全長二九七メートルの鉄筋コンクリート造で、右岸から固定部五〇メートル、五連のゲートからなる放水門三五メートル、船通し魚道一二メートル、右岸側と左岸側に長さ二〇〇メートルの五段の階段状の固定部を有する透過式堰堤であり、堰天端の標高はA・P二〇メートルであった。本件堰の左岸側には低水護岸から堤防本体に向かい幅約四五メートルの高水敷が存在し、本件堰の右岸側は取水口が下流の堤防に固定されていたが、左岸側堰固定部は、一五メートルにわたり高水敷の地表下約一メートルのところにかん入していた。本件堰周辺の状況は、原判決添付別紙第一図及び第二図記載のとおりであり、堰取付左岸には小堤及び高水敷側壁の低水護岸が堰上流部から同下流に併行して設置され、右小堤は、盛土の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面を被覆した構造で、表法(河川側の斜面)は低水護岸と一体となっていたことが認められる。

(四)  宿河原堰周辺の土地利用状況

本件被災箇所を含む中流域は、近年急速な宅地化か進み、中下流域は、人口稠密な地域となっており、万一堤内災害が発生すると、付近住民に甚大な被害を与えることは明らかな状況となっていた。

2  本件災害の発生の経過

<書証番号略>、証人高橋裕、同梶谷薫の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  多摩川流域では、昭和四九年八月三〇日夜から同年九月一日夕方にかけて、台風一六号の影響を受け、上流氷川を中心に多量の降雨があったため洪水が発生し(以下「本件洪水」ともいう。)、多摩川の水位は八月三一日早朝から上昇を続けた。

(二)  宿河原堰では、同日夕刻より堰固定部からの越流が始まり、九月一日午前一〇時には、堰地点での本川流量は毎秒一六〇〇立方メートル前後となり、堰の越流水深は約二メートル、また、堰の上下流の水位差は約四メートルに達した。

(三)  同日昼ころ、堰左岸下流取付部護岸の一部が一〇数メートル破壊され、次にこの破壊は、護岸工と一体構造となっていた小堤に及び、小堤の破壊及び高水敷の浸食が始まった。

(四)  その後も河川流量は増加を続け、同日午後一時三〇分から午後二時の間に流量は毎秒二七〇〇立方メートル前後となり、この段階で堰上流部の小堤から高水敷への越流が開始した。

(五)  小堤からの越流が始まってからは、本川水位の上昇とともに右小堤からの越流延長及び越流量は増加し、この間小堤自体の上流方向への破壊が進行した外、この越流水が小堤と堤防との間の高水敷を流下して、その大部分が前記高水敷浸食箇所に流入し、高水敷の浸食は上下流及び堤防方向に徐々に増大していった。右高水敷の浸食は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食箇所に滝状に落ち込む流れと、本川の堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の作用によって進行したが、上流方向に比較して二倍ないし三倍の速さで堤防方向(川に直角方向)に進んだ。

(六)  小堤の破壊は、被覆工が流出し、露出した中詰土が流出し、中空となった被覆工が水圧に耐えられず倒壊する過程を繰り返して進行したが、この現象は、本川水位の上昇に伴い小堤からの越流が増大して小堤上に下流方向への流れが生じたことにより小堤の天端から破壊部に越流し落下する水流によって加速され、同日午後四時ころには、小堤の破壊は堰かん入部の上流面にまで達した。

(七)  小堤の破壊が堰上流部に及んだため、この段階で堰上流部の小堤の破壊口から本川の流水が堤防方向に向かって流れることとなり、堰を迂回する水流(迂回流)が生じ、このため、既に生じていた小堤からの越流水と相まって高水敷の洗掘と小堤の破壊を一層進行させた。

(八)  堰かん入部の上流側に生じた迂回流は急速に広がり、同日午後五時から同五時三〇分ころには本川流量がピーク(毎秒約四二〇〇立方メートル)に達したこともあって、堰かん入部先端から堤防の表法尻にまで達する円弧状の迂回水路が形成された。

(九)  同日午後五時三〇分以降、本川流量が減少するにつれて小堤からの越流量は減少したものの、小堤の破壊口からの迂回水流は依然として強く、高水敷を上下流及び堤防方向に浸食し続けた。

(一〇)  その後、高水敷の浸食は堤防に及んだが、その時点では河川水位が堤防の表法尻の高さ以下になっていたため、堤防はその地盤が浸食され、それに伴って堤防自体も崩壊、流失していった。

(一一)  同日午後一〇時二〇分には堤防が延長約一〇メートルにわたって裏法尻まで流失し堤内地盤の浸食が始まった。この時点で河川水位は既に堤内地盤高より下がっていたため、堤内地への洪水の氾濫は免れたが、迂回流による地盤の浸食はこの後も依然として続き、堤防の最終的な決壊は延長約二六〇メートルに達した。

(一二)  結局、迂回流による浸食は、後記のとおり同月三日まで継続し、堤内地への氾濫という事態は免れたものの、高水敷、本堤地盤及び堤内地盤を洗掘、流失し、同月一日午後一〇時四五分ころ最初の家屋(物置)が流失したのを始めとして、同月三日午後二時までの間に堤内の流失住宅面積は約三〇〇〇平方メートル、流失家屋数は一九棟に達した。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  本件洪水の規模

請求原因2(三)の事実(但し、本件洪水が格別異常な洪水ではなかったとの主張部分は除く。)は当事者間に争いがなく、<書証番号略>によれば、多摩川流域(石原地点から上流域)において、大正一二年以降の過去五二年に年最大流域平均二日雨量が本件洪水をもたらした降雨(三一六ミリメートル)を上回るものは、昭和三年七月三〇日(三五一ミリメートル)及び同二二年九月一四日(三七六ミリメートル)の二回であり、同二四年の宿河原堰完成後では三〇〇ミリメートルを超える規模の降雨は本件災害時まではなく、本件洪水の最大流量は同二二年九月一四日と同程度で、同堰完成後としては最大規模のものであった。狛江地点において、本件洪水で毎秒二五〇〇平方メートル以上の洪水継続時間は約九時間に及び、また石原観測所においても、本件洪水時における指定水位(水防法一〇条の三の通報水位)以上の水位は約一九時間にわたって継続した。もっとも同観測所における指定水位以上の水位の継続時間に関しては、昭和三三年以降に限ってみても、同三三年及び同三四年の各洪水時に、最大洪水流量が本件洪水時のそれに比べてかなり小さいものであったにもかかわらず、本件洪水時における前記継続時間をやや下回る程度の継続時間を記録していることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実に、前記当事者間に争いがない事実を併せて検討すれば、本件洪水は、宿河原堰設置後としては最大の規模のものであり、かつ、洪水継続時間も比較的長かったという点では、同堰及びその周辺に及ぼす影響が大きい洪水であったといえるとしても、同洪水の狛江地点における最大流量が計画高水流量程度であり、昭和二二年には同堰の上流の上宿河原堰で最大流量が同程度の洪水による被災を経験しており、しかも、同三三年及び三四年にはこの程度に至らない洪水においてさえ、本件に近い洪水継続時間を記録した例があったことに鑑みると、洪水流量及び洪水継続時間のいずれの点においても特に予測しがたい異常な洪水とまではいえないというべきものであり、他に右認定判断を左右するに足りる証拠はない。

三本件災害の原因

1  宿河原堰及びその周辺河川管理施設の状況と本件災害との関係

<書証番号略>、証人高橋裕、同梶谷薫、同吉川秀夫、同渡辺隆三の各証言によれば、次の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  堰本体について

宿河原堰は、多摩川のような流量の大きな大河川下流部に位置する堰としては、可動部の少ない比較的高さの高い堰であったので、本件災害時において同堰付近では次のとおりの水理現象が生じた。即ち、同堰において毎秒四二〇〇立方メートルの流量が流れた際、固定部の上流面で越流水深が約3.2メートルとなったが、下流の水位はA・P19.8メートル程度であり、堰の天端の高さに達しなかった。このため、堰を越流する流れは射流となって高速で流れ落ち、続いて弱い跳水を起こし堰下流の水面につながり、この射流部の長さは約二〇メートル、跳水部の長さは約五ないし一五メートルであった。さらに、本件災害をもたらした洪水の平均流速は毎秒約三メートル程度であったのに対し、堰落下流の最大流速は毎秒一〇メートル程度とかなり速く、堰天端からの高速流水は、堰左岸下流取付部付近の護岸法面に激しく作用し、堰左岸下流取付部護岸の損壊を発生、拡大させる原因の一つになった。

(二)  堰左岸下流取付部護岸について

本件堰左岸下流取付部護岸は、法勾配が1.5割ないし二割で(このことは当事者間に争いがない。)、堰の高さが下流方向へ漸減するにしたがい、法足が河心の方向に出る構造になっていて水流の乱れを生じ易く、より一層大きな外力を受け易い状態となっていた。また、堰左岸下流の護岸法線が、前記当初設計図による線よりも実際には約五メートル流心方向へ出ていた(これは堰軸が取付部で長さ三〇メートルにわたり下流側に一〇度傾斜していることとの関連で変更されたものと考えられる。)ため、護岸法足は更に流心方向に出ることとなって、右の状態は一層増大された。そのうえ、堰左岸取付部護岸は、厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたに過ぎず(このことは当事者間に争いがない。)、堰直下流部での水衝、洗掘あるいは裏側からの浸透圧などに弱く、構造全体として耐久性に問題があったのみならず、本件災害前における右取付部護岸の状況は、所々に小さな穴ぼこ、クラック等が存在し、雑草が生えている個所もみられたため、さらにその強度が低下していた。このために、堰左岸下流取付部護岸は、(一)で述べた堰越流水による水衝、洗掘あるいは裏側からの浸透水圧、洪水流等の外力により破壊され、これが端緒となって、右取付護岸と一体構造となっていた小堤に及び、小堤の破壊及び高水敷の浸食へと進行していった。

(三)  小堤について

小堤は、従前から存在していた在来堤を補強したもので、洪水を食い止め、高水敷と本堤を防護するために設置されたものである。ところが、本件洪水の宿河原堰地点における最高水位は、A・P23.1ないし23.2メートル、同じく計画高水位は、A・P22.84メートルであったのに対し、小堤の高さは、全長にわたりA・P22.4ないし22.6メートル(堰直流部でA・P22.4メートル)と右最高水位のみならず計画高水位よりも更に低いものであったため、少なくとも毎秒二七〇〇立方メートルを超える流量の洪水に対しては不適切な構造物であり、本件災害において計画高水流量が流れる以前の段階で堰上流部の小堤からの越流が開始する事態となった。その後、河川水位の上昇とともに小堤からの越流延長及び越流量が増加し、この越流は、小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大となり、最大越流水深は五〇ないし八〇センチメートル、最大越流量は、毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートル程度となった。そして、この小堤からの越流水が高水敷を流下して堰下流の高水敷の浸食個所に流れ落ち、その水勢により当該個所の浸食を増大させた。しかも、小堤は、盛土(中詰土)の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面を被覆した構造になっていたが、被覆工が十分でなく、右構造は低水護岸の基礎を含め全体として弱体であったため、災害の初期の段階では小堤と一体構造となっていた小堤の下の護岸及び裏込の流失に伴って破壊が進み、その後は被覆工が流出し、このため露出した小堤の中詰土が流失し、次に中空になった被覆工が水圧等に耐えきれずに倒壊するという過程が繰り返され、小堤の破壊が進行した。もし、小堤の高さが計画高水位より十分高く、かつ、その構造が強固であれば、小堤の越流を生ぜず、高水敷の欠込みの進行、小堤の破壊の事態を回避することができたと考えられる。

(四)  高水敷について

本件堰付近の高水敷は、上流から下流に緩く傾いていたが(勾配は約三〇〇分の一)、児童遊園地等として利用されていたため、砂利の上に三〇センチメートル弱の土が入れられ、これに芝が張られていたに過ぎず、何らの保護工も設置されていなかった。もし保護工が設けられていれば高水敷の浸食の急激な進行を防ぐことは可能であったと考えられる。

本件災害時において高水敷では次のとおりの水理現象が生じた。即ち、小堤からの越流の増大に伴い高水敷の水深、流速は各地点で増大し、このうち、まず水深については、下流で深く上流で浅くなっていたが、小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で約1.3メートル程度となり、また流速は、下流で大きく上流で小さくなっていたが、水深と同じく小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で毎秒約2.5メートル程度となった。この結果、高水敷は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食個所に滝状に落ち込む流れと、堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の各作用によって容易に洗掘を受け、ひいては高水敷の地表下約一メートルのところに入っていた堰かん入部が洗い出されることになった。

(五)  堰と本堤との接続方式について

前記二1に認定したとおり、宿河原堰は、堰本体かん入部が堰地点で幅約四五メートルもある高水敷の地表下約一メートルのところに長さ一五メートルだけ入っており、本堤までつながっていなかった。このため本件災害で堰上流の小堤が破壊した後、高水敷の浸食が続き、このかん入部を中心に大きな迂回流が生じ、これが拡大して本堤の破壊をもたらすこととなった。もし、堰堤の末端の高水敷かん入部が本堤防に取りつけられていたならば、迂回水路の水位が堰固定部天端より低くなることはなかったはずであるから、本川の水位低下に伴い、迂回水路を流れる水量も減少し、側方の本堤防に対する浸食も少なかったと考えられる。また、このように堰のかん入部が高水敷の途中まで入っていたことは、迂回流が形成されてからは結果的ではあるが左岸側に水をはね、迂回流による横浸食を一層増大させることになった。

(六)  河床等について

決壊個所付近一体の土層は、若干の表土の下に比較的洗掘され易い玉石混じりの砂れき層が約四メートル程度あり、さらに地盤より約五メートル下(A・P約一六メートル)には固結シルト層があったので、それより下方への浸食が妨げられて平面的な横浸食が助長され、その結果、災害が拡大された。また、堰下流部の河床が堰設置後ある程度低下しており、このため迂回流の流速を増大させることになった。

2  模型実験について

(一)  控訴人は、本件堰周辺部の模型(縦断方向で堰上流一五〇メートルから同下流二五〇メートルまでの区間、横断方向で本件堰左岸取付部を含む左岸側九一メートルの区間、基本縮尺二〇分の一)を作成し、毎秒四〇〇〇立方メートル、同三〇〇〇立方メートル、同二〇〇〇立方メートル、同一〇〇〇立方メートルの水を流下させて、本件堰取付部周辺に起こる水理現象を再現した結果、堰左岸取付部の越流水の流況は護岸に沿って滑らかにすべるような流れであり、護岸沿いの最大流速は堰本体部の最大流速よりも下回っており、護岸に対する作用圧力は静水圧と同程度のものであり、水衝作用による衝撃圧は働いていないことが認められる(<書証番号略>)のであるから、本件護岸の強度はその受ける作用圧力に対して十分耐えうるものであった旨主張する。

(二) しかしながら、<書証番号略>によれば、右模型実験に使用された本件堰周辺部の模型は、第一に護岸自体の素材が実際とは異なっているので、右実験結果から直ちに本件護岸の水圧に対する耐性を知ることはできないこと、第二に右実験装置には本件堰左岸の高水敷に相当する部分がないため、堰上流部から高水敷を流下して低水路に落ちる流水の護岸法面に対する圧力作用を測定できないこと、第三に右実験装置では本件堰左岸下流取付部護岸に相当する部分に直角に働く水流による水圧しか的確には測定できず、他の角度で護岸法面に衝突する水流の圧力を十分に捉えることは困難であると考えられるなどの問題があり、模型実験には限界があって厳密に再現することは困難であること、<書証番号略>によれば、本件洪水の際に撮影された写真、ビデオフィルムによっても、堰越流水が本件護岸に衝突している状況は「滑らかにすべるような流れ」とは異なることが看取されること等に加えて、前記三1(一)に認定した事実に<書証番号略>、証人高橋裕、同梶谷薫、同吉川秀夫、同渡辺隆三の各証言を併せると、右模型実験の結果から直ちに本件護岸には堰越流水の水衝作用による衝撃圧が働いていないとか、本件護岸の強度はその受ける作用圧力に対して十分耐えうるものであった等と認めることはできず、まして、後述するとおり、昭和三三年及び同四〇年には、本件堰左岸取付部護岸は計画高水流量以下の洪水により破損されているのであるから、右護岸の強度に問題がなかったものといえないことは明らかである。したがって、<書証番号略>は前記認定を左右するに足りるものではなく、控訴人の右主張は採用できない。

3  本件災害の原因についての総合的考察

以上によれば、本件洪水は、その流量及び継続時間の点からみても予測し難い異常な洪水とはいえないが、堰越流水の水勢と本件河川内に設置された本件堰及び周辺の河川管理施設の設計、構造上の欠陥が主たる原因となって取付護岸の崩壊ひいては本件災害に至ったものといえる。即ち、本件災害は、宿河原堰が大河川下流部に位置する堰としては、可動部の少ない比較的高い堰であったため、本件洪水の堰越流水が最大流速毎秒一〇メートルに達して、同堰左岸取付部護岸に激しく作用したこと、右堰取付部護岸の構造が同堰越流水の水勢の影響を受けやすい構造であったうえ、同護岸の植石コンクリート被覆工が右水勢に耐えうる取付強度を有しなかったこと、本件高水敷上の小堤の高さが計画高水位よりも低かったため、同高水敷は小堤を越えて同高水敷を流下する洪水により洗掘を受け、小堤も同天端上を流れる越流水により洗掘を受けたこと、本件高水敷には洪水による浸食、洗掘を防止するための設備が施されていなかったこと、右堰本体が左岸の本堤防に直接取りつけられていなかったことなど、前述の宿河原堰本体及びその周辺に存する護岸、小堤、高水敷等の河川施設の構造、形式等に認められる諸状況が複合的に競合し、又は寄与したことによって発生したものというべきである。

四河川管理の瑕疵

1  河川管理の瑕疵の判断基準

ところで、本件に関する上告審判決(最高裁平成二年一二月一三日第一小法廷判決・民集四四巻九号一一八六頁)は、河川管理の瑕疵についての一般的判断基準について、「国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、このような瑕疵の存在については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。ところで、河川は、当初から通常有すべき安全性を有するものとして管理が開始されるものではなく、治水事業を経て、逐次その安全性を高めてゆくことが予定されているものであるから、河川が通常予測し、かつ、回避し得る水害を未然に防止するに足りる安全性を備えるに至っていないとしても、直ちに河川管理に瑕疵があるとすることはできず、河川の備えるべき安全性としては、一般に施行されてきた治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する安全性をもって足りるものとせざるを得ない。そして、河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である。」と判示し、大東水害訴訟において先に最高裁判決が河川の管理の瑕疵について示した一般的判断基準は本件においても妥当することを明らかにしたうえ、「本件河川部分は、基本計画策定後本件災害時までの間において、基本計画に定める事項に照らして新規の改修、整備の必要がないものとされていたところから、工事実施基本計画に準拠して改修、整備がされた河川と同視できるもの」であり、このような河川の改修、整備の段階に対応する安全性とは、「同計画に定める規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性をいうものと解すべきである。けだし、前記判断基準に示された河川管理の特質から考えれば、改修、整備がされた河川は、その改修、整備がされた段階において想定された洪水から、当時の防災技術の水準に照らして通常予測し、かつ、回避し得る水害を未然に防止するに足りる安全性を備えるべきものである」と判示した。

そして、同上告審判決は、差戻前控訴審が本件河川部分の有すべき安全性についての右の観点から具体的事案に即して審理すべきであるのにこれをすることなく、本件河川管理の瑕疵を否定したことを理由に、控訴審判決を破棄し、その上で、差戻後控訴審において本件河川部分の管理の瑕疵の有無を検討するに当たっては、

①  本件災害時において、基本計画に定める計画高水流量規模の流水の通常の作用により本件堰及びその取付部護岸の欠陥から本件河川部分において破堤が生ずることの危険を予測することができたかどうか

②  右の予測可能性が肯定された場合、その予測をすることが可能となった時点はいつか

③  右の時点から本件災害時までに、前記判断基準に示された諸制約を考慮しても、なお、本件堰に関する監督処分権の行使又は本件堰に接続する河川管理施設の改修、整備等の各措置を適切に講じなかったことによって、本件河川部分が同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を欠いていたことになるかどうか

について、本件事案に即して具体的に判断すべきであるとした。そこで、以下本件堰及び周辺河川管理施設の安全性並びに同上告審判決が説示する右三点を中心に検討することとする。

2  本件災害時における宿河原堰及び周辺河川管理施設の安全性

(一)  問題の所在

まず、宿河原堰及び周辺河川管理施設の構造が基本計画に基づく計画高水流量(毎秒四一七〇立方メートル)規模の洪水に対し、本件災害当時における河川工学の一般的技術水準からみて安全な構造であったか否かにつき検討する。

(二)  本件災害時における河川管理施設等の構造上の安全基準

<書証番号略>、証人渡辺隆二の証言及び弁論の全趣旨によれば、旧河川法においては、堰、堤防、その他の河川施設の構造に関して安全基準は定められていなかったが、過去の災害の経験の所産としてその時代の技術水準に照応した一定の安全基準が存在し、河川施設の新築又は改築の際には右安全基準を充足することが治水事業の根幹をなすことが承認されていた。このような考え方に基づき建設省は、河川管理の指針とすべく安全基準を成文化し、昭和三三年に河川砂防技術基準案を、同三七年には許可工作物につき河川占用工作物設置基準案を各作成、試行し、これらを河川施設の構造基準として運用してきた。昭和三九年現行河川法が制定されたことに伴い、建設省河川局は、同法一三条二項の委任に基づき政令の素案の作成作業を開始し、同四三年四月には河川管理施設等構造令(以下「構造令」という。)案の第一次案を完成し、河川管理の実務に携わっている担当者の意見を聴くなどして検討、改訂を重ねたうえ同四五年に河川局長通達により第六次案を現場において試行し、本件災害当時には同四六年作成(同四八年一二月一部改正)にかかる構造令案の第八次案を試行していた。本件災害後構造令案の第九次案を経て、昭和五一年七月に構造令が制定(政令第一九九号)され、同年一〇月一日から施行されたが、構造令案及び構造令は、河川管理施設及び許可工作物のうち堤防その他主要なものを新築又は改築する場合におけるそれらのものの構造につき河川管理上必要とされる一般的技術基準を定めたものであるところ、本件災害当時試行されていた第八次案は、当時における河川工学の一般的技術水準を示すものと考えてよい(構造令案第八次一条、構造令附則二項)。

控訴人は、構造令案は極めて先進的、実験的な技術基準として作成されたと主張するが、前掲各証拠によれば、右に示されている技術基準は、これまでの河川工学の進歩、発展の中で一般的に確立され、承認を得られてきた内容の技術的知見を基礎としていることが認められ、控訴人が主張するような将来の時点で確保されるべき高い目標を掲げているものとは認められないから、当時の河川工学上の一般的技術水準を示していると解するのが相当である。そこで、まず宿河原堰及び周辺河川管理施設が、本件災害当時、右一般的技術水準からみて安全な構造であったか否かにつき検討する。

(三)  具体的検討

(1) 堰の高さ、可動部の比率、固定部の位置について

ア <書証番号略>、証人高橋裕、同梶谷薫の各証言及び弁論の全趣旨によれば、一般に、堰を設置した場合、堰の上流側においては水位の上昇(いわゆる堰上げ)が、堰の下流側においては高速流による浸食作用、洗掘作用の増大等が生じるため、堰の上、下流付近では通常の河道に比較し、河岸ないし河床が水衝を受けたり、洗掘されたりする等の危険性が高く、右危険性は、堰高が高ければ高い程、また可動部が少なければ少ない程増大する傾向があること、右知見は、河川工学上古くから承認されており、昭和一〇年に旧内務省をはじめ関係各省の技術官で構成し、設置された水害防止協議会の決定事項中には、堰堤に関して「下流平地部ニ築造スル取付堰堤ハ治水上ノ影響ヲ充分考慮シ、且比較的高キモノハ成ルベク可動堰ト為スコト」、「堰堤ノ高ハ下流平地部ニ於イテ洪水ノ影響ヲ考慮シ、之ヲ必要ノ最小限度ニ止ムルコト」との事項があること、同三三年に作成試行された河川砂防技術基準案には「せき本体は規模、用途に応じた構造として高さ、方向、および、所要の断面を決定しなければならない。本体の高さは目的に適合する範囲で、できるだけ低くとる。」とされ、その解説にも「本体の高さは取水堰にあっては所要の水量を得られる高さとし、その範囲で治水上支障が生じないようできるだけ低いものとしなければならない。」とされていたこと、同三七年に建設省河川局により策定された河川占用工作物設置基準案には「堰は、原則として高水位を上げない構造とすること」、「可動堰の固定部分は、計画河床高以下とすること」とされ、堰が治水、利水上に悪影響を与えないように配慮すべきとする原則が定められていたこと、本件災害当時試行されていた構造令案二八条には「堰は、水位、流量、流水の状態、地形等を考慮して、高水時の流水に著しい支障を与えない構造とするものとする。」と、同二九条には「固定堰又は可動堰の天端高又は敷高は、計画河床高、現河床高、将来の河床変動等を考慮して、流水の疎通に支障のない高さとするものとする。」と各規定されていたこと、これらは、河道内に堰を設置することは、たとえ可動堰であっても大なり小なり河川管理上の支障をもたらすものであるが、その必要性に鑑み、必要最小限度の悪影響にとどめるような構造にすべきことを規定したものである

イ そこで、宿河原堰の高さは、本件災害時において、右に述べた一般的技術水準からみて合理的であったか否かについて検討する。

<書証番号略>によって認められる本件災害後の昭和五四年一〇月に一級河川の建設大臣直轄管理区間について行われた堰の調査結果によれば、本件堰は、大河川の平地部にある堰としては、比較的堰高の高い堰の部類に属するが、河川工学の常識に反するような異常なものではなかったことが認められる。<書証番号略>、証人梶谷薫の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、宿河原堰は、二ケ領用水の取水を目的とした取水堰であること、右用水の灌漑面積は、明治末年に二八〇〇ヘクタール余であったが、その後逐次減少し、第二次世界大戦の前には一五〇〇ヘクタール台に、さらに宿河原堰の改築が始まった昭和二二年には一一七〇ヘクタール台へと漸減し、その後周辺の急激な宅地化によって著しく減少し、本件災害当時は樹園地を含めても二〇〇ヘクタール内外にまで激減していたこと、二ケ領用水は、明治三一年に組織された稲毛川崎二ケ領用水普通水利組合により管理されてきたが、昭和一六年に同組合の権利義務が川崎市に移管されたこと、流水の占用については、同九年に神奈川県知事から右水利組合に対し、上河原口から毎秒5.175立方メートル、宿河原口から毎秒4.174立方メートル、合計毎秒9.349立方メートルの取水が用途を灌漑用水として一〇箇年の期限で許可されたこと、同三三年には神奈川県知事から川崎市に対し、上河原口から毎秒6.685立方メートル、宿河原口から毎秒2.67立方メートル、合計毎秒9.35立方メートルの取水が、灌漑用水に毎秒7.0立方メートル、工業用水に毎秒2.35立方メートルとして許可されたこと、現行河川法の施行後、同四三年に川崎市から河川管理者である建設大臣に対し同三三年と同じ内容で流水の占用許可更新申請がなされたが、二ケ領用水流域の都市化に伴い明らかに灌漑面積が減少しているため、灌漑用水量の精査を行うことが必要であるとして許可が保留されたままになっていることが認められ、さらに、<書証番号略>、原審における検証の結果、証人高橋裕の証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件災害後、宿河原堰は川崎市によって復旧工事が行われた結果、堰左岸側の固定部は高さが九〇センチメートル切り下げられ、その上に二五センチメートルの蛇籠が設置されたので、蛇籠の分を含めても右堰高は本件災害当時より六五センチメートル低いものに改修されたこと、宿河原口での取水は、右改修によっても特段の影響を受けなかったことが認められる。

ところで、取水堰について必要な堰高は、取水口の敷高と堰下流側の河床の敷高との比高及び所要の取水量によって決定されるが、右認定の事実によれば、本件災害当時において、宿河原堰の堰高は灌漑用水量の激減に伴い、所要の取水量を得るための高さを不必要に超えるものとなっていたことを否定することはできない。してみると、宿河原堰の堰高は、設置当時はともかくとしても、その後時代に即応した対策は講ぜられておらず、本件災害当時においては既に必要以上に高くなり、前記一般的技術水準を充たさない不合理なものであったことは明らかである。

ウ 次に、宿河原堰の可動部の比率は、本件災害時において、一般的技術水準からみて、合理的であったか否かについて検討する。

<書証番号略>及び証人高橋裕、同梶原薫の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、大河川に可動堰ないし可動部の多い堰を設置する技術水準は、次のとおりの変革を遂げた。即ち、昭和三〇年代の中頃までは、堰の可動部の幅(径間長)を長くする技術は開発されず、また、ゲートの開閉技術も十分に開発が進んでいなかったため、大河川に本格的な可動堰が設置されることは少なかったこと、宿河原堰は、水流量の大きな大河川下流部に位置する堰としては、可動部の少ない高い堰として築造されたが、その当時の技術手法としては、その頃の全国の実施例からみると、宿河原堰のような形式の堰もかなり採用されていたこと、仮に、宿河原堰を可動堰として築造しようとすれば、その当時の技術水準では三〇ないし四〇門のゲートを設けざるを得ず、洪水時には流木等により堰が閉塞する恐れがあるばかりでなく、さらに、多くのゲートを同時に引き上げる技術が開発されていなかったためゲートが開かない可能性もあって、治水上かえって望ましくなかったこと、しかし、昭和三〇年代の中頃以降、径間長を長くする技術が開発される等の技術革新により、大河川に可動堰ないし可動部の多い堰を設置することが技術的に可能となったことが認められる。

右認定のとおり、昭和三〇年代の中頃以降、径間長を長くする技術やゲートの開閉技術等の技術革新が進み、本件災害当時には、大河川に可動堰ないし可動部の多い堰を設置することが技術的に可能となっていたことに鑑みると、本件災害当時における宿河原堰の堰可動部の堰本体長に占める比率は、少なくともその当時の一般的技術水準からみると、かなり古い技術水準を前提とした型式になっており、その比率を高めて治水上の安全性の向上を図ることは技術的にも可能であったということができる。

エ 次に、宿河原堰の固定部の位置について検討する。

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、前記アにおいて認定したとおり本件災害時に試行されていた構造令案二八条、二九条には、堰は洪水の疎通に支障を与えない構造、高さとする旨が規定されているところ、昭和三七年に策定された河川占用工作物設置基準案では「可動堰の固定部分は計画河床高以下とすること」と規定され、本件災害当時構造令案と並んで試行されていた河川管理施設等構造細目案第七五には「固定堰又は可動堰の固定部は、計画高水流量を流下させるために必要な河川の計画横断面又は有効河積のいずれか大きい方の外に設けるものとする。ただし、地形の状況その他の特別の理由によりやむを得ないと認められる場合においては、河川の計画横断面外の有効河積内に設けることができる。」と規定されていたこと、宿河原堰の固定部の天端高はA・P二〇メートル、可動部の敷高はA・P18.2メートル、堰地点の計画河床高はA・P15.032メートル、堰固定部の幅員は計二六二メートルであったことが認められる。右によれば、計画河床高より高い位置に高い堰が設置されたことにより、本件堰は河積の有効断面積を大きく塞ぐ結果となり、堰の固定部が計画高水流量の流水断面内に設置されているために流水の流下に支障を与える状態にあったものであり、同構造細目案に規定されているような「やむを得ないと認められる場合」に該当することを窺わせる事情は存しない。それ故その固定部の位置において、同構造細目案及び構造令案に適合しないものであった。

(2) 堰取付部護岸について

前述のとおり、堰を設置した場合、堰の下流側では堰越流水の水勢により、堰取付部護岸等が水衝を受けたり、浸食、洗掘されたりする等の危険性が高く、右危険性は堰高が高ければ高い程、また、可動部が少なければ少ない程増大する傾向があり、<書証番号略>、証人高橋裕の証言によれば、堰下流部では水が局部的に渦を巻く等複雑な水流を生じさせ、洗掘を助長するようなことがしばしば起きるため、堰上下流の取付部護岸等は特に強固にすべきであること、護岸に破壊が起こると堰と河岸あるいは堤防との間が抜け、ついに堤防崩壊の原因となること、このような知見は、河川工学上古くから承認されていたことが認められ、<書証番号略>によれば、前記水害防止協議会の決定事項中には「溢流堰堤ニ於テ其ノ下流両岸ニ岩盤ナク又ハ岩盤アルモ脆弱ニシテ洗掘ノ處アル場合ニハ堅牢ナル構造ノ元付護岸ヲ施シ必要ニ応シ之ヲ水叩部末端迄延長スルコト」との事項があり、前記河川砂防技術基準案の解説には「側壁護岸などはせきによる複雑な高速水流を受けるのであるから、通常河道のものより相当堅個なものとする必要があるばかりでなく、堰を越えた水流を円滑に下流に導くために有効な形状を有することが望ましい。」とされており、構造令案三四条には「堰には、その上下流に、流水の乱れに対して安全な取付護岸を設けるものとする。」とされていることが認められ、これらの規定は、堰取付部護岸の危険性に着目し、堰取付部護岸は、特に強固にして安全性の高い構造にすべきことを述べているものと理解される。

そこで、堰取付部護岸の実施例をみると、<書証番号略>、証人渡辺隆二の証言及び弁論の全趣旨によれば、堰取付部護岸は、昭和三〇年以前は法面式護岸が多く採用されていたが、土木技術の進歩により堅牢な鉄筋コンクリート擁壁の築造が容易になり、かつ、直立式護岸の方が法面式護岸より河積を大ならしめ、水衝を受けにくくする等の利点があることから、昭和四〇年以降特に直立式護岸が採用される例が多くなり、建設省もそのころから積極的に直立式護岸の採用を指導するようになったこと、また、法面式護岸が採用された場合には、被覆工として強度の高い石積・練石積工が多く採用されており、コンクリートないし植石コンクリート工が採用された例は少なく、昭和四〇年以降はほとんど例がなかったこと、宿河原堰とほぼ同様の構造をした上河原堰は、昭和四一年の災害後、堰左岸取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁(厚さは、上部が四〇センチメートル、基部が五〇ないし六〇センチメートル)とし、その基礎に4.5ないし8.0メートルの鋼矢板を打設する等の改修工事が行われたが、この形式・構造は、当時の標準的なものであったこと、昭和四九年と同五〇年には本件災害の復旧工事として、宿河原堰左岸取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁とし、その基礎に三メートルの鋼矢板を打設され、上下流の低水路護岸の構造を法枠及びブロック張りとして、その前面に根固工としてテトラポットを敷設する等の工事が行われたことが認められる。右認定事実及び前掲証拠によれば、昭和四〇年代以降において、少なくとも計画高水流量毎秒二〇〇〇立方メートル以上の大河川における堰高二メートル以上の比較的高い堰の取付護岸については、植石コンクリート被覆の法面式護岸よりも擁壁タイプの鉄筋コンクリート造直立式護岸の方がより強固で安全性の高い構造とみられていたこと、法面式護岸を採用する場合でも、被覆工として耐久性に問題のある植石コンクリートは避けるべきであることが河川技術上定着していたことが認められる。

のみならず、宿河原堰左岸下流部の取付護岸は、法勾配が1.5ないし2.0割の法面式護岸で、堰の高さが下流方向へ漸減するにしたがい、法足が流心方向に出ていたため、水流の流れを生じ易く、より一層外力を受けやすい構造であった上、同護岸の被覆工は、厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで、堰の直下流部では水衝や洗掘あるいは裏側からの浸透水圧等に弱く、その耐久性に問題があったことは前述のとおりである。加えて、宿河原堰は、昭和三三年に、計画高水量を下回る毎秒三一〇〇立方メートルの洪水により、堰左岸下流取付部護岸の植石コンクリートの一部が破壊され、陥没し、中詰土が一部流失するという災害を受け、同四〇年には、計画高水流量を下回る毎秒一四〇〇立方メートルの洪水により、堰左岸下流取付部護岸が破損し、同護岸と一体となっていた小堤も破壊されるという災害を受けたことに鑑みると、同堰取付部護岸の形式及び構造は、計画高水流量を下回る洪水に対してさえ強度が不足していて、その安全性に問題があり、本件堰周辺の河川管理施設の中では最も脆弱な部分であったといわざるをえず、本件災害当時の一般的技術水準に適合せず、その安全性を高めるために改善の余地があったといわざるをえない。

(3) 高水敷保護工について

本件災害当時の一般的技術水準からみて、本件高水敷に保護工を設置する必要があったか否かについて検討する。

<書証番号略>、証人渡辺隆二の証言及び弁論の全趣旨によれば、構造令案三四条二項には「堰の上下流には、必要に応じ高水敷保護工を設けるものとする。」と規定され、これを受けた構造令三四条には「床止めを設ける場合において、これに接続する河床又は高水敷の洗掘を防止するため必要があるときは、適当な護床工又は高水敷保護工を設けるものとする。」と規定され、右の「必要な場合」の解説には「落差のある場合は、一般に、高水敷を流下する流水は、床止めの下流で高水敷から低水路に向かう流れが生ずるので、下流取付部護岸ののり肩付近は特に広範囲に高水敷保護工を設ける必要がある。」と説明され、右によれば、高水敷から低水路へ戻る落下流による護岸ののり肩への洗掘に対する対策として、高水敷保護工を設置すべきことが求められている趣旨に理解される。

ところで、構造令は、本件災害後に右災害による知見を踏まえて規定されたものではあるが、前述のとおり、本件堰は、低水路部に設置され、本件高水敷に取り付けられており、本件堰の左岸側では、当初から、毎秒二七〇〇立方メートル程度の洪水の場合には、本件小堤で右洪水を防ぐ構造となっていたが、計画高水流量(毎秒四一七〇立方メートル)規模の洪水の場合には、右洪水を小堤から高水敷側へ毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートル程度越流させ、同所を流下させて低水路に戻す構造になっていたのであるから、特に、下流取付部護岸ののり肩付近が洗掘される危険性があったことはその防災構造上明らかである。かつ、同四〇年には、計画高水流量を下回る毎秒一四〇〇立方メートルの洪水により、堰左岸下流取付部護岸が破損し、同護岸と一体となっていた小堤も破壊され、本件高水敷も若干のかけ込みが生じる被災を経験していたことからすると、右付近の高水敷を補強して安全性を高める現実的な必要があったというべきである。加えて、証人梶谷薫の証言、原審における検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、宿河原堰とほぼ同様の構造をした上河原堰は、昭和四一年の災害後、堰左岸取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁式に改修工事をした際、右堰の上流から下流にかけての高水敷にコンクリート製の保護工が設置されたことに鑑みると、前記構造令案当時の一般的技術水準においても、本件堰取付部の上流及び下流の本件高水敷に保護工を設置して、その安全性を高める必要があったものと考えられる。なお、<書証番号略>によれば、関東地方建設局の調査による四八堰のうち、堤防と接続した高水敷は八一個所であり、そのうち高水敷保護工の実施率は四四パーセントと示されているが、本件堰の状況に鑑みると、右調査結果は前記認定を左右するものではない。

3  本件災害の予測可能性

(一)  問題の所在

以上によれば、本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷は、その設置当時はともかくとしても、その後の河川工学の知見の拡大、防災技術の向上により本件災害時において、当時の一般的技術水準からみて流水の通常の作用、即ち、計画高水流量の洪水に対して十分安全な構造とは評価しえない状態となっており、前述三のとおりこれらの欠陥の放置が本件災害の要因になったことは明らかである。しかしながら、河川管理に瑕疵があるといえるためには、さらに本件災害時において、右に述べた宿河原堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷の欠陥から本件堤内災害の発生が予測可能であることが必要である。

(二)  予測可能性の程度、内容

控訴人は、河川管理の瑕疵判断における予測可能性の程度は、河川管理者をして回避措置を採らせる程度に災害発生が具体的なものであることが必要であり、また、災害発生の機序が異なれば回避措置も異なるので合理的回避措置を採る前提として基本的な機序ないし経過を含めたところの堤内災害の発生の予見が必要である旨主張する。しかしながら、災害発生の危険を時期、場所、規模等において具体的に予知、予測すること及び河川災害において災害の自然的発生機序を科学的に解明することは極めて困難であるといわねばならず、他方、かかる災害を自然科学的に完全に解明できなければ、河川管理者が適切な防災上の措置を採ることが全くできないわけではない。したがって、災害発生の具体的な予知、予測及び具体的な機序の認識を必要とするのは相当でない。また、本件においては計画高水流量規模の洪水により本件災害が生じた場合であるから、自然現象(災害)の原因となる外力(洪水)が発生することの予測自体は問題とする余地がなく、もっぱら、この洪水から災害が発生することの予測が問題となるにすぎない。そうすると、過去の被災事例、改修工事等により得られた知見や本件災害当時の河川工学上ないし防災技術上の水準からみて、本件堰及びその取付護岸等の欠陥から本件河川部分に堤内災害が生じたことについて、河川管理者が事前に防災上の措置を採ることを期待される程度に右災害発生の危険を予測することが可能と認められる場合には、本件災害発生の予測可能性があると解するのが相当である。

(三)  本件災害時における予測可能性の有無

(1) 過去の被災例の検討

ア 上宿河原堰の昭和二二年災害からの知見

前記認定事実に、<書証番号略>、原審における検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、上宿河原堰は、昭和一一年ころ、本件宿河原堰とともに築造が計画され、同二〇年に完成した堰で、当時の堰自体は宿河原堰とほぼ同様の構造であったこと、上宿河原堰は、昭和二二年九月のカスリーン台風によるほぼ計画高水量規模の洪水により同堰左岸取付部護岸ないし堤防が同堰の上流部から下流部にかけて約一〇五メートルにわたり決壊し、同堰の上流部の破壊口から下流へ堰かん入部を中心として円弧状に迂回する水流が生じたこと、右迂回流により堤内地盤は堰左岸かん入部の先端から幅員約三〇メートルの範囲にわたりほぼ円弧状に洗掘されて流失したことが認められる。

右上宿河原堰の昭和二二年災害によって、少なくとも堰上流部の堤防が決壊されると、同破壊口から洪水が堤内地に流入し、堰かん入部を中心とする円弧状の迂回流が形成されること、右迂回流は堤内地盤を洗掘し、右地盤を流失させるとの知見を認めることができる。

なお、控訴人は、右昭和二二年の災害は、水衝部で高水敷がほとんどない個所での被災であり、かつ、その機序は、堰取付部の上流側の護岸あるいは堤防が破壊され、堰取付部の上流部が抜けて堰取上流部からの浸食により堤内に向かった流水が低水路に復帰することにより迂回流が生じたもので、本件災害と全く異なる機序に基づくものであって、本件災害のように、堰下流部から上流に向かった浸食により迂回流が生じることを予見できず、かつ本件堰左岸上流部護岸及びこれと一体構造となっている小堤の低水路側には巾六メートル程度の小段があり、さらに右小堤は三面に被覆工が施され、高水敷に1.2メートル根入れされていたのであるから、水衝部でない同堰左岸上流部護岸ないし小堤が破壊されることは予見できない旨主張する。

しかしながら、昭和二二年の災害の当初の破壊個所及び破壊進行経過は必ずしも証拠上明らかでなく、証人梶谷薫の証言によっても、仮に本件災害とその機序が異なるとしても取付部の崩壊が堰の上流、下流いずれの側から開始されたかは決定的な要因とは解し難く、堰上流部の堤防が決壊されると、同破壊口から洪水が堤内地に流入し、堰かん入部を中心とする円弧状の迂回流が形成され、右迂回流が堤内地盤を浸食する作用を有することは、下流部の堤防が先に決壊した場合と特段に異なるものとは解し難い。そうすると、昭和二二年の災害により堰取付部護岸の崩壊が堤内地盤を浸食するに足る迂回流を発生することがありうるとの知見が提供されたものというべきである。

イ 宿河原堰の昭和三三年災害からの知見

<書証番号略>、及び弁論の全趣旨によれば、宿河原堰は、昭和三三年九月、計画高水流量を下回る毎秒三一〇〇立方メートルの洪水により、堰左岸下流取付部護岸の植石コンクリートの一部(法面約六メートル四方)が破壊され、陥没し、中詰土が一部流失したこと、右被災個所は、堰越流水が落下して護岸に当たる所で水衝を受けやすい場所であったこと、同堰は、設置から約九年が経過し、同護岸付近の植石コンクリートの継ぎ目部分には雑草等が生育している所も見られたことが認められる。

右宿河原堰の昭和三三年災害によって、堰左岸下流取付部護岸及びこれと一体となっている小堤の法面は堰越流水の衝突、洗掘等により破壊される危険性があることの知見を認めることができる。

なお、控訴人は、昭和三三年の災害は、毎秒三一〇〇立方メートル程度の洪水で小規模な護岸破壊が生じたにすぎず、かつ高水敷の浸食もなかったのであるから、低水路護岸が治水上の機能を果たしたものとみるべきである旨主張する。

しかしながら、昭和三三年の災害は、もし、洪水の規模が計画高水流量規模の洪水であったら、更に破損個所の拡大等被害の拡大をもたらすおそれのあることは見易いことであり、後述のとおり、ほぼ同一付近の個所での被災事例である同四〇年の災害と併せて評価すべきであって、同三三年の災害のみを切り離して小規模な災害と過少評価するのは誤りである。

ウ 宿河原堰の昭和四〇年災害からの知見

<書証番号略>、証人高橋裕、同梶谷薫、同吉川秀夫、同渡辺隆二の各証言及び弁論の全趣旨によれば、宿河原堰は、昭和四〇年八月、九月、計画高水流量を下回る毎秒一四〇〇立方メートルの洪水により、昭和三三年災害の被災個所とほぼ同一個所である堰左岸下流取付部護岸付近が破損し、同護岸と一体となっていた小堤は少なくとも約一〇メートル余にわたって上流及び下流方向に破壊され、小堤の中詰土が流出し、被覆工に空洞が生じたこと、右小堤の破壊は、本件堰の二段目付近まで及んだこと、右護岸及び小堤の破壊口ヘの流水により高水敷に若干のかけ込みが生じ、高水敷浸食の端緒がみられたこと、同堰は、昭和三三年災害による原形復旧工事から七年が経過し、同付近の護岸及び小堤の植石コンクリートには穴ぼこ、クラック等が見られたこと、右被災後、同堰左岸取付部では、堰の上流側の二段目から下流へ約三五メートルにわたって、護岸及び小堤先端部分がほとんど元と同じ形式、構造で原形復旧工事がおこなわれたことが認められる。

右宿河原堰の昭和四〇年災害によって、堰左岸下流取付部護岸及びこれと一体となっている小堤の法面は計画高水流量をかなり下回る洪水の場合でも、堰越流水の衝撃、洗掘等により破壊される危険性が存在していたこと、昭和三三年、四〇年の各災害の経過と護岸の管理状況を併せみると、護岸等の築造、改修から相当の築年数を経過し、同護岸及び小堤の被覆工に疲弊が見られるようになると右危険性が増大すること、昭和四〇年の被災経過をみると、同護岸及び小堤の破壊は下流部にも進行するが、上流部にも遡上して進行することが認められ、さらに、同護岸及び小堤の破壊は、高水敷のかけ込みの端緒になっていること、右災害の発生機序は結果的にみると本件災害の初期の経過と同様であったこと、更に昭和四〇年の災害時に計画高水流量(毎秒四一七〇立方メートル)規模の洪水が生じた場合を想定すると、本件堰越流水の他、小堤を越流して高水敷上を流下する流水及び小堤上を流下する流水が生じることが本件小堤、高水敷等の構造上予見できるところ、かかる流水が右護岸及び小堤の破壊口や高水敷のかけ込みないし洗掘部分に大量に落ち込み、同護岸及び小堤の肩口や高水敷のかけ込み部分を浸食し、右小堤の浸食を一層堰上流部方向に拡大させることや高水敷の洗掘が生じ、これにより堰取付部を崩壊させて迂回流を形成することがありうること等の知見を認めることができる。そして、右迂回流が堤内地にも及ぶ浸食力を発揮しうることは、前記のとおり上宿河原堰の昭和二二年災害の際の知見として提供されたところである。

なお、控訴人は、本件小堤は、昭和三三年の災害では毎秒三一〇〇立方メートル程度の洪水があったにもかかわらず堰取付護岸の一部が破損を受けたのみで破壊されず、同四一年、四六年には毎秒一八〇〇立方メートル程度の洪水が、同四七年には毎秒二四〇〇立方メートル程度の洪水が発生したにもかかわらず同様に破壊されなかったのに、同四〇年の災害では毎秒一四〇〇立方メートル程度の洪水で破壊されたことに鑑みると、流量規模と被災個所及びその程度に一定の関係は認められず、右各災害が新たな知見を提供するものではなく、加えて、計画高水流量規模の洪水が発生した同二二年の河岸浸食の実績からみて、護岸が施工され、かつ幅約四五メートルの広い高水敷がある宿河原堰左岸側において堤内災害が起こるとは考えられない旨主張する。

しかしながら、前述のとおり、昭和三三年の災害と同四〇年の災害とは、予測される原因や被災個所がほぼ同一であり、期間の経過や被災個所付近の護岸の状況等の点に相関性を認めうるのであるから、右各災害に一定の関係が認められないとはいえず、何ら新たな知見を提供するものではないという主張は採用できない。また、後述のとおり、宿河原堰左岸側に迂回流が生じれば、本件堰かん入部が本件高水敷に約一五メートル入っているため、右先端を中心とする迂回流が形成され、右迂回流が本堤防にまで至る可能性が認められること、本件高水敷及び本堤防には保護工が施されていないので、洪水継続時間如何によっては、右迂回流による浸食が同二二年の河岸浸食の実績に必ずしもとどまるものとはいえないから、広い高水敷がある本件堰左岸側において、堤内災害は起こらないとの知見を提供するものではない。

エ 金丸堰の昭和四六年の災害からの知見

<書証番号略>によれば、金丸堰は、宮崎県児湯郡新富町地区内の二級河川一ツ瀬川に設置され、昭和二二年三月に改築された取水を目的としたコンクリート重力固定堰で、右堰の右岸側(水衝部)取付部から本堤防までは幅約八〇メートルの高水敷があり、堰は右岸の護岸中に約六メートルかん入して取り付けられていたこと、右高水敷の低水路側には野面石積ないしコンクリート張りの護岸が施工されていたこと、昭和四六年八月五日、台風一九号による計画高水流量毎秒二七〇〇立方メートルを上回る毎秒三一〇〇立方メートルの洪水(最高水位は、堰堤上で水深約三メートル、右岸高水敷上で約1.3メートル)により、金丸堰右岸取付部付近の高水敷が浸食され、幅約五〇メートル、長さ約一五〇メートル、深さ一ないし三メートルの土砂が流失したこと、右洪水により右堰右岸取付部付近の高水敷が洗掘された結果、同堰の上流部及び下流部の右岸取付護岸並びに護床工の一部が破壊され、同堰を迂回する幅約五〇メートル、長さ約一五〇メートル、深さ一ないし三メートルの迂回水路が形成されたが、堤内災害の発生をみるに至らなかったこと、同年八月二九日、台風二三号により毎秒四一〇〇立方メートルの洪水(最高水位は、堰堤上で水深約四メートル、右岸高水敷上で約二メートル)が生じ、同堰右岸上流取付部護岸を越流した洪水が高水敷の前記一九号台風によって一部洗掘された部分に落下して、さらに洗掘が進み、同堰右岸取付部護岸や同堰本体右端の一部が流出したこと、右により右高水敷に大幅なかけ込みが生じ、幅約八〇メートル、長さ約三〇〇メートル、深さ五ないし一〇メートルの迂回水路が形成されたこと、右迂回水路の形成には上流からの流水の掃流力のほか高水敷を低水路側から横に浸食する力が作用したこと、右迂回流は、高水敷の右側に存する堤防に達し、その基部が一部浸食されたことが認められる。

右認定の金丸堰の昭和四六年の災害によって、洪水が低水路を越流して高水敷を流下する場合において、右高水敷に適切な保護工が設置されていない場合には右表面が洗掘される危険性が大きいこと、堰の上流及び下流部の護岸の一部が損壊すると、堰を中心とする迂回流が発生すること、右迂回流は、上流から下流へ向かう掃流作用のほか低水路側から横方向への浸食作用があること、毎秒四一〇〇立方メートル程度の洪水が生ずると、堤防の前に約八〇メートルの高水敷が存在していても、右高水敷を構成する土質如何によっては堤防まで浸食が進行する危険性がありうるとの知見を認めることができる。

なお、控訴人は、金丸堰の昭和四六年の災害は水衝部で生じたのに対し、宿河原堰の本件災害は水裏で生じていること、金丸堰の右災害は短期間のうちに二度にわたる計画高水流量を上回る洪水によるものであるから本件災害とは異なること、金丸堰の右災害は高水敷の表層部の洗掘を端緒として生じたものと推定されるが、本件災害とその機序を異にするので、金丸堰の昭和四六年の災害は、本件災害の予測可能性についての知見とはなりえなかった旨主張する。

しかしながら、金丸堰の昭和四六年の災害は、少なくとも堰護岸が崩壊すると堰を中心とする迂回流が発生すること並びに発生した迂回流の浸食作用の状況及び右作用により高水敷の浸食が拡大する危険性についての知見を提供しているところ、右知見は、小堤の存在を除き、その余の点で金丸堰周辺の状況と類似する本件堰左岸部において計画高水流量規模の洪水が流下した場合に生ずるであろう現象につき知見を提供するものといえるから、同災害が本件災害の予測可能性についての知見とは全くなりえなかったとの控訴人の主張は採用できない。

(2) 具体的検討

前述の被災の経緯を総合、評価してみると、宿河原堰の下流取付部護岸ないし小堤は、昭和三三年、同四〇年と連続して堰越流水の水勢を受けやすいほぼ同一付近個所で破壊されており、特に一定の期間の経過に伴い右被覆工が疲弊してくると、計画高水流量ないしそれを下回る水量の洪水でも同堰下流取付部護岸ないし小堤が破壊される危険性があったこと、同四〇年の被災状況をみると、本件堰下流取付部護岸が破壊されると、同護岸と一体となっている小堤の破壊へと進み、右小堤は下流方向だけでなく、上流方向にも遡上して洗掘され、被覆工である植石コンクリートの破壊、中詰土の流失、被覆工事の中空という経過を通じて、本件堰二段目付近まで破壊が進んだこと、さらに右破壊口からの流水の作用により高水敷にも一部かけ込みが生じたこと、このように本件堰と一体をなしている河川施設は、計画高水流量をはるかに下回る規模の洪水に対してさえ、十分対応することができないのであるから、計画高水流量規模の洪水においては更に被害が拡大するおそれのあることは見易いことであるのに、右施設の復旧も原形復旧工事にとどまったこと、本件堰の左岸側では、当初から、毎秒二七〇〇立方メートル程度の洪水の場合であれば、本件小堤で右洪水を防ぐ構造となっていたが、計画高水流量(毎秒四一七〇立方メートル)規模の洪水の場合であれば、右洪水を小堤から高水敷側へ毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートル程度越流させ、同所を流下させて低水路に戻す構造になっているところ、計画高水流量規模の洪水が生じたならば、本件堰越流水のほか、小堤を越流し高水敷上を流下する流水及び小堤上を流下する流水が出現し、本件堰下流取付部護岸及び小堤の破壊口並びに高水敷のかけ込み部分に大量に落ち込み、その肩口を損壊、浸食し、同護岸及び小堤の破壊は同四〇年の災害において破壊された範囲を越えて、さらに堰上流部にまで遡上進行することが予測できること、加えて、本件高水敷には何らの保護工も設置されておらず、しかもその土質は若干の表土の下に比較的洗掘されやすい玉石混じりの砂れき層であったため、右流水により、本件高水敷の洗掘は下流方向だけでなく、上流方向及び本堤防に向う横方向にも拡大していくことが予測可能であったこと、さらに昭和三三年、同四〇年の災害によって得られた右知見に、同二二年の災害及び同四六年の災害による被災状況を併せみると、本件堰の上流及び下流部において小堤が破壊されるに至ると、本流とは別個に本件堰を中心として円弧上の迂回流が形成され、同堰かん入部付近まで高水敷の洗掘が進行すると、右迂回流は同堰かん入部の先端を中心として本堤防に接近する方向に流れを変化させ、右迂回流の横方向の浸食作用によって右浸食が本堤防に及ぶ可能性を予測することができる。そうすると、右迂回流は、本件高水敷を横方向に洗掘し、本堤防ないしその地盤を右裏法尻まで浸食して本件堤内災害を発生させる危険性があり、控訴人はこれを予測することができたといわざるを得ない。

(3) 控訴人の原審における主張に対する判断

控訴人の原審における主張に対する判断は、原判決二二八枚目表一行目の「四2日(一)(3)」を「三1(五)」と同四行目の「前記三1に」を「右」と、同二三二枚目裏一〇行目の「四2(1)ないし(3)」を「四2(三)」と各訂正するほかは、原判決二二七枚目表三行目の「被告」から同二三三枚目裏六行目までの記載と同一であるから、これを引用する。

(4) 控訴人の当審における主張及び当審提出の意見書に対する判断

ア 控訴人は、本件災害は堰左岸下流部取付部護岸の破損を契機として、その破損個所が小堤上流部における越流水の流下等と相まって上流側及び側方へ急速に拡大し、堰上流部にまで進行し、その結果、迂回水路が形成されて迂回流が発生し、これが堤防方向に直角に向かう流れとなり、高水敷、堤内地盤を浸食し、堤内災害に至ったものと主張し、本件災害時には堰左岸下流部取付部護岸の破損が急速に上流及び側方へ拡大するとの知見は全くなかったのであり、このような機序は、地表下の固結シルト層の存在によって、下流方向に向かう洗掘が拘束されて側方への洗掘が急激に進んだことや小堤上に下流方向への流れが生じ、小堤の天端から同破壊部へ越流したため、右破壊が加速されたこと等の予測できない現象により惹起されたものである旨主張する。

しかしながら、河川管理者は、災害を受けた場合、被害の状況を現地において直ちに調査し、その原因を慎重に検討するが復旧工事のためにも、また他の護岸計画のためにも極めて重要であるにもかかわらず、証人梶谷薫の証言によれば、前記昭和二二年、同三三年、同四〇年の各災害に際し、被害が比較的小規模であったためにその原因究明が十分になされなかったことに問題があり、昭和四〇年の被災経過をみれば、小堤は、堰越流水の作用により被覆工である植石コンクリートの破壊、中詰土の流失、被覆工の中空という経過で上流方向にも洗掘されるとの知見を認めうることに加えて、本件洪水の宿河原堰地点の最高水位はA・P23.1ないし二メートル、計画高水位はA・P22.84メートルであったのに対し、小堤の高さは全長にわたりA・P22.4ないし六メートルしかなかったのであるから、計画高水流量規模の洪水が流下した場合、右洪水が高水敷上だけでなく小堤の天端上も流下することは本件堰左岸部の防災構造上明らかであり、右流水が小堤の破壊口に落ち込み、肩口を浸食して、右破壊を上流方向へ進行させることは当時の河川工学上の知見からみても予測できたといわざるをえず、かつ、昭和三六年の「石狩川河道変遷調査報告書」(<書証番号略>)にも滝口の遡上の原理で崩壊部が上流側へ拡大する浸食現象の指摘があること等に鑑みると、<書証番号略>を考慮しても、本件災害時には堰左岸下流部取付部護岸の破損が急速に上流及び側方へ拡大するとの知見は全くなかったとの控訴人の右主張は採用できない。

また、控訴人は、高水敷の地表下の固結シルト層の存在によって、下流方向に向かう洗掘が拘束されて横方向へ洗掘が急激に進んだことが本件災害の重要な要因であり、このような経過を事前に予測することは困難であった旨主張するが、高水敷の地表下に固結シルト層が存在することはその深さからみて予測しえないものではなく、加えて、本件高水敷が急激に浸食された決定的な要因は、迂回流による横方向への水流の浸食作用によるものであって、固結シルト層の存在は右浸食作用を助長したにすぎず、しかもその程度は明らかでないのであるから、高水敷の地表下の固結シルト層の存在を理由に本件災害の予測が不可能であったとは到底認められない。

イ 池田駿介の意見書(<書証番号略>)には、本件災害当時、交互砂州や蛇行によって河岸洗掘現象が生じるとの研究が進んでいたが、本件被災個所は、河川に交互砂州の形成が見られなかったのであるから、交互砂州や蛇行による河川洗掘がそもそも起こり得ない場所であり、又仮に、河岸洗掘が起こったとしても、その浸食は側方及び下方に進行すると考えられていたので、本件災害のような大規模な洗掘が非水衝部で生じ、しかも上流方向に拡大して迂回水路を形成するということは、本件災害当時の学術水準では予見できなかった旨述べられている。

しかしながら、前述のとおり、本件災害は堰越流水による水衝、洗掘、あるいは裏側からの浸透水圧等により本件堰左岸取付部護岸が破壊されたことに起因するものであって、交互砂州の形成に起因する偏流作用に基づくものとは認められないから、本件河川部分に交互砂州の形成がみられなかったことを理由として、本件災害が予見できなかったとはいえないし、また右意見書は、本件災害の予見可能性を考えるについて、本件堰周辺で起こった過去の災害から得られた知見について何ら具体的に検討していないのであるから、右意見書の見解はにわかに採用できない。

ウ 椎貝博美の意見書(<書証番号略>)には、計画高水流量に満たない洪水で小規模な被害が生じた場合に、計画高水流量規模の洪水でどのような被害が生じるかを具体的、一般的に予測することは、相似法則、模型実験、計画器による数値実験等によっても困難であること、したがって、河川工作物が被災した場合には、原形復旧して修理後観察を続けるのが通例であるところ、本件堰等は、昭和三三年、同四〇年の被災後原形復旧工事がなされたが、同四一年、同四六年、同四七年には、同四〇年を上回る洪水が発生したもののさしたる被害も受けなかったのであるから、以前の修理が一応成功したものと考えられること、また河川工学的見地からみても、本件堰左岸よりも右岸の方が河川の流速が速く大きな災害が生じやすいこと、また本件堰は築後二五年以上も経過し、流れになじんでいるので、本件堰付近では小規模な洗掘はともかく重大な洗掘が生じるとはみられなかったこと等からすると、本件災害当時、本件堰等小規模な破損が生じた場合に、それが破堤につながるような大災害の先駆的症状であると判断することは困難であった旨述べている。

しかしながら、河川災害が発生した場合に、被害状況を調査し、その原因を慎重に検討し、計画高水流量規模の洪水が生じた場合の危険性を予測することは、当該個所の復旧ないし防災工事を実施するために極めて重要なことであるところ、右意見書は、本件堰周辺等で起こった昭和三三年、同四〇年の災害から得られた知見について何ら具体的に検討することなく、同四〇年の原形復旧工事が成功であったとか、本件堰付近では重大な洗掘が生じるとはみられない等と断じているが、同意見書の見解は、一般的、抽象的な判断であり、同三三年、同四〇年と続けて計画高水流量を下回る規模の洪水によって、本件堰下流取付部護岸がほぼ同一付近で破壊された事実を無視するものであるから、にわかに採用できない。

エ 西川喬の意見書(<書証番号略>)には、河川は、基本計画が対象とする洪水の現象や作用を予め観察し、施設の機能を検証することが不可能であるため、計画高水流量規模の洪水が発生したときに初めて施設の機能限界が試されることになるが、治水施設を整備するにあたっては、河川工学の知見や過去の洪水によって得られた技術的な経験の蓄積から、経験したことのない規模の洪水によって生じ得る現象を外挿することによって推定する以外にないため、予測できない現象が顕在化する可能性があること、本件堰及びその左岸周辺は、非水衝部側であり、広い高水敷が存在し本堤への洗掘を防止ないし軽減しており、また小堤や護岸の配置状況からみても一般水準以上に十分な技術的配慮がなされていたものであるから、本件災害は、それが生じた場所、またその複雑な作用及び洗掘の状況からみて、過去の洪水で得られた技術的な経験の蓄積及び河川工学の知見に基づく当時の治水技術においては予測しえなかったものであること、また許可工作物は、設置許可がされた時の条件を存続期間中満たしていれば十分であり、設置後に施設を新設又は改築する際の基準が新たに定められたので、治水上より支障のない構造とすることが望ましいといった理由では、河川法上の監督処分権を行使することはできない旨述べられている。

しかしながら、右意見書は、治水施設を整備するにあたっては、河川工学の知見や過去の洪水によって得られた技術的な経験の蓄積から、経験したことのない規模の洪水によって生じ得る現象を外挿することによって推定することが必要であると述べながら、本件堰周辺等で起こった昭和三三年、同四〇年の各災害から得られた知見につき何ら具体的に検討することなく、また同四〇年の災害当時に計画高水流量規模の洪水が発生した場合を想定し、その危険性について何ら検討を加えることもなく、本件堰及びその左岸周辺が一般水準以上に十分な技術的配慮がなされていたとか、本件災害が当時の治水技術では予測しえなかったものである等と断じるものであって十分な具体的検討が不足しており、また前述のとおり、本件災害当時、河川工学上の一般的技術水準及び過去の被災事例から得られた知見からみて、計画高水流量規模の洪水の通常の作用によって、本件堰下流取付部護岸が破壊され、堤内災害が発生するに至ることが予測できる以上、控訴人が河川法上監督処分権を行使することができないとの見解は前提を欠き、右意見書の見解は、にわかに採用できない。

(5) 結論

したがって、前述のとおり、本件堰及びその取付部護岸等は、本件災害時において、当時の一般的技術水準からみて計画高水流量規模の洪水の通常の作用に対して十分安全な構造とは評価しえない状態となっており、これを放置すれば本件堰下流部取付部護岸、小堤、高水敷が破壊され、ひいては堤内災害に至る危険性があり、前述のとおり過去の被災事例等から得られた知見及び当時の河川工学ないし防災技術上の水準を併せみると、本件災害当時河川管理者が事前に適切な防災上の措置を採ることを期待される程度に堤内災害発生の危険を予測することが可能であったと認めるのが相当である。

(四)  予測が可能となった時点

次に、本件災害時において、基本計画に定める計画高水流量規模の流水の通常の作用により、本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷等の欠陥から本件河川部分において堤内災害が発生することを予測することが可能となった時点について検討する。

前述のとおり、昭和四一年に基本計画が策定され、本件被災個所付近の河川部分は、基本計画による改修工事を概成した区間とされ、新規の改修、整備の必要は認められないとされたものであるが、他方、本件災害当時、河川管理施設の構造に関する安全基準として試行されていた構造令第八次案は、既に昭和四六年に作成試行されたものであるところ、右に示されている技術基準は、これまでの河川工学の進歩、発展の中で一般的に確立され、承認を得られてきた内容の技術的知見を基礎とし、当時の一般的技術水準を示していたものであって、これによれば、本件堰の高さ、堰可動部の堰本体長に占める比率、堰固定部の位置、堰取付部護岸及び本件高水敷等は、右の一般的技術水準からみて、計画高水流量規模の流水の通常の作用に対して十分安全な構造と評価しえない状態になっていたということができる。さらに、前述のとおり、昭和二二年の上宿河原堰、同三三年、同四〇年の本件堰、同四六年の金丸堰の各災害から得られた知見を併せみると、少なくとも同四六年には本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷等の欠陥から本件河川部分において堤内災害が発生することを予測することは可能であったということができる。

したがって、少なくとも昭和四六年当時には、基本計画に定める計画高水流量規模の流水の通常の作用により、本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷等の欠陥から、本件河川部分に堤内災害が発生することを予測することが可能であったということができる。

4  本件災害の結果回避可能性

(一)  本件災害の結果回避可能性の有無

本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷は、昭和四六年当時の一般的技術水準からみて安全性に問題があり、かつ、過去の被災事例から得られた知見に鑑みると、基本計画に定める計画高水流量規模の洪水の通常の作用によって堤内災害が発生することを予測することが可能であったことは、前述したとおりであるから、控訴人は、右危険性に対処するため、右当時の一般的技術水準からみて、その安全性に問題があった本件堰及びその取付部護岸等について、その堰高を切下げたり、堰可動部の比率を高めたり、或いは堰取付部護岸の被覆工ないし構造を改善したりすること等によって、本件災害の発端となった本件堰下流取付部護岸ないし小堤の破損を防止し、ひいては本件災害を回避するための措置を講じることができたものである。

また、前認定事実に加えて、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、河川管理者は、昭和四九年と同五〇年に本件災害の復旧工事を行ない、本件堰取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁とし、その基礎に三メートルの鋼矢板を打設し、上下流の低水路護岸の構造を法枠及びブロック張りとして、その全面に根固工としてテトラポットを敷設し、高水敷を計画高水位の高さまで盛土したうえ布団籠により保護したこと、右災害復旧工事は、昭和四九年度延ベ一五九日、同五〇年度延ベ一七三日間行われ、総工事費は八億八一二五万円であったこと、本件堰管理者である川崎市は、昭和五一年に宿河原堰左岸側の固定部の高さを九〇センチメートル切り下げ、その上に二五センチメートルの蛇籠を設置し、結局、蛇籠の分を含めて堰高を本件災害当時より六五センチメートル低くする改修工事を実施したこと、川崎市が右改修工事を実施するにあたり、河川管理者の監督処分権の行使や利害関係人の同意の取り付け等に特段の支障があったとも認められないこと、また、本件河川管理者は、宿河原堰とほぼ同様の構造をした上河原堰につき、昭和四一年の災害後、堰左岸取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁とし、その基礎に4.5ないし8.0メートルの鋼矢板を打設する等の改修工事を行ったことが認められるところ、前述した程度の工事を実施することは、右宿河原堰及び上河原堰の災害後の復旧工事の実施状況に鑑みると、財政的に実施不可能ではなく、しかも、前記工事は、右復旧工事に比較すると対象範囲が相当小さいことからすると財政的及び時間的制約も少なく、また、社会的にみてもいわゆる下流原則、河川に関する利害関係人の同意の取付け等の点で格別困難な諸事情もみられず、かつ、本件災害が予測可能であった昭和四六年以降時間的にも十分に余裕があったと認められるのであるから、河川管理者である控訴人が本件災害を回避するために事前に適切な防災措置を講じることは十分に可能であったといわざるをえない。

(二)  控訴人の主張について

(1) 控訴人の原審における主張に対する判断

控訴人の原審における主張に対する判断は、原判決二三四枚目裏四、五行目の「2(一)の(1)ないし(3)に」を削除するほかは、同二三三枚目裏七行目の「被告」から同二三五枚目表七行目までの記載と同一であるから、これを引用する。

(2) 控訴人の当審における主張に対する判断

ア 河川管理の一般水準からみた回避措置の困難性

控訴人は、多摩川は、下流部に東京都、川崎市の人口、資産の密集地を控え、上流部に多摩ニュータウンの人口の急増地域を擁しているが、これらの地域は、社会、経済的に重要な地域であるにもかかわらず、計画規模の洪水あるいは高潮がくれば甚大な被害を受けるおそれは多大であったため、河川管理者にとっては、下流高潮区間の高潮対策及び上流無堤防部の築堤を進めることが最も重要かつ緊急の課題とされていたのに対し、本件河川部分は既に改修工事が終了し、左岸は過去に二度小規模な災害があったのみで、小堤、広い高水敷を擁する安全な個所であったのであるから、本件河川部分を他の危険個所に優先して対策を講ずるべき緊急性はなかったし、また堤内災害の発生が具体的に予測できない以上部分的な改修を行うことも事実上不可能であるから、結果回避のための措置を講じなかったとしても不合理ではない旨主張する。

しかしながら、前記3で述べたとおり、本件堰及びその取付部護岸等は、昭和四六年には、当時の一般的技術水準からみて計画高水流量規模の洪水の通常の作用に対して十分安全な構造とは評価しえない状態となっており、これを放置すれば本件堰下流部取付部護岸ないし小堤が破壊される危険性があったことは明らかであり、右の破壊が進行すれば、過去の被災事例及び当時の河川工学ないし防災技術上の水準からみて河川管理者が事前に適切な防災上の措置を採ることを期待される程度に堤内災害発生の予見が可能であったのであるから、河川管理者にとって、多摩川では下流高潮区間の高潮対策及び上流無堤防の築堤を進めることが重要課題であったとしても、本件堰及びその取付部護岸等の改修工事をせずに放置してもよいとの合理的理由を認めることはできない。また右改修工事の実施が不可能であるとはいえない。よって、控訴人の右主張は採用できない。

イ 事前の回避措置にかかる諸制約

① 監督処分権の行使にかかる制約

控訴人は、河川管理者は河川法上の許可を受けて設置された許可工作物を改善させる場合には河川法七五条により監督処分権を行使することになるが、具体的な危険の予測に基づかず、単に許可工作物が最新の構造ではなく、旧式となったとの理由だけでは同条の監督処分権を行使するための要件を充足せず、これを行使することはできない旨主張する。

しかしながら、本件は、控訴人が主張するように、単に許可工作物が最新の構造ではなく旧式となったとの理由で、河川管理者が監督処分権を行使して同工作物を改善させる場合ではなく、本件堰及びその取付部護岸を現況のままで放置すると、計画高水流量規模の洪水により破壊され、右破壊が進行すれば堤内災害の発生することが起こりうるとの理由で同工作物を改善させる場合であるから、仮に河川管理者の監督処分権の行使が問題となりうるとしても、河川法七五条二項五号の要件を満たすものと解することができる。これに反する<書証番号略>の見解は採用することができない。よって、控訴人の右主張は採用できない。

② 既存の許可工作物の改善に伴う困難性

控訴人は、構造令案第八次案を満たさない既存の河川管理施設ないし主要な許可工作物は、多摩川に限っても九堰、二二橋梁及び河川管理施設を含む約二〇の水門・樋管・樋門に加えて約四〇キロメートル区間の堤防がこれに該当するところ、これを一律に一定期間で実施することは社会通念上不可能であり、仮に河川管理者が河川法七五条に基づき本件堰の改築を命じたとしても、その実現には費用負担も含めた受益者からの同意の取付け、あるいは可動堰化による下流水利権者や水面利用者、漁協などからの同意の取付けが不可欠であり、その改築を実現させるには財政的、技術的、社会的諸制約の中で、膨大な費用と長い期間を要する旨主張する。

しかしながら、本件は、控訴人が主張するように構造令案第八次案の基準を満たさない既存の河川管理施設ないし主要な許可工作物を全て一律に改修するというのではなく、本件堰及びその取付部護岸等が当時の一般的技術水準に照らし安全性に問題があり、これを放置すると堤内災害に至る恐れがあるので改修工事をすべきであるというのであるから、控訴人が主張するように、河川管理者が右改修工事を行うことが社会通念上不可能であるとは到底いえない。

また、前述のとおり、本件災害後、川崎市は、昭和五一年に宿河原堰左岸側の固定部の高さを九〇センチメートル切り下げ、その上に二五センチメートルの蛇籠を設置し、結局、蛇籠の分を含めて堰高を本件災害当時より六五センチメートル低くする改修工事を実施したが、宿河原口での取水には特段の影響はなく、また、本件全証拠によるも、川崎市が右改修工事を実施するにあたり河川管理者の監督処分権の行使や利害関係人の同意の取付け等で特段の支障があったとも認められないのであるから、川崎市が右復旧工事とほぼ同程度の堰切下げ工事を実現させるためには財政的、技術的、社会的な諸制約の中で膨大な費用と長い期間を要するとはいえず、控訴人の右主張も採用できない。

ウ 事前の危険回避措置の実現困難性

控訴人は、河川管理者が本件災害前に本件河川部分の危険性を除去しようとすれば、堰を全面改築し可動堰化を図るしかなく、右可動堰化に伴い堰上流部の既設橋梁、護岸等の補強対策も必要となって、これらの工事に要する費用は、堰改築費が一一〇億円、諸対策費が一一〇億円と見込まれるが、当時の多摩川の改修費の約二七年分にも相当し、財政的にみても、右可動堰化の実現は困難であった旨主張する。

しかしながら、前述のとおり、河川管理者は、昭和四九年と同五〇年に本件災害の復旧工事を行ない、本件堰取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁とし、その基礎に三メートルの鋼矢板を打設し、上下流の低水護岸の構造を法枠及びブロック張りとして、その前面に根固工としてテトラポットを敷設し、高水敷を計画高水位の高さまで盛土したうえ布団籠により保護したこと、右災害復旧工事は、昭和四九年度延ベ一五九日、同五〇年度延ベ一七三日間行われ、総工事費は八億八一二五万円であったこと、本件堰管理者である川崎市は、同五一年に本件堰の切下げ工事を行ったこと、加えて、前認定のとおり、本件河川管理者は、宿河原堰とほぼ同様の構造をした上河原堰につき、昭和四一年の災害後、堰左岸取付部護岸を鉄筋コンクリート造りの直立擁壁とし、その基礎に4.5ないし8.0メートルの鋼矢板を打設する等の改修工事を行ったことに鑑みると、本件河川部分の危険性を除去するためには、本件堰左岸取付部護岸の強化を図ることや本件堰固定部を切下げて流水の疎通をよくすること等の対策も十分考えられたのであるから、控訴人が主張するように本件堰の全面可動堰化を図ることしか対策がなかったとは到底認められず、これを前提とする右主張は採用できない。

(三)  まとめ

本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷は、昭和四六年当時の一般的技術水準からみて安全性に問題があり、基本計画に定める計画高水流量程度の洪水の通常の作用によって堤内災害が発生することを予測することが可能であったのであるから、控訴人は、本件堰の堰高を切下げたり、堰可動部の比率を高めたり、或いは堰取付部護岸の被覆工ないし構造を改善したりすること等によって、本件災害の発端となった本件堰下流取付部護岸ないし小堤の破損を防止し、ひいては本件災害を回避することができたものというべきである。そして、このような工事は、当時の一般的技術水準からみても、また財政的、社会的見地からみても十分に実施可能であり、かつ、時間的にも余裕があったものであると認められるから、控訴人が本件災害の結果発生を回避することは可能であったといわざるをえない。

5  結語

したがって、少なくとも昭和四六年当時には、本件堰及びその取付部護岸並びに本件高水敷は、河川工学上の一般的技術水準に鑑みると、その安全性に問題があり、河川工学の知見の拡大ないし防災技術の向上等によって、基本計画に定める規模の洪水における流れの通常の作用によって堤内災害の発生を予見することが可能であったにもかかわらず、控訴人は、同四九年の本件災害時までに、右災害の発生を回避するため何らの対策を講じなかったものであるから、河川管理に瑕疵があったものと認められる。

よって、控訴人は、国家賠償法二条一項に基づき被控訴人らの各損害を賠償する責任がある。

五損害

損害についての判断は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決理由の「六 損害」において説示するところ(原判決二三七枚目表一行目から同三七四枚目裏八行目まで)と同一であるから、これを引用する。

1  原判決の訂正等

(一)  原判決二三七枚目表三行目冒頭から同四行目の「加藤信」まで及び同裏五行目の「原告加藤」から同六行目の「加藤信」までを各「被控訴人加藤ハル、同佐渡島をさめ、同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹、同小西美智子、同菅谷冨代子を除く被控訴人ら及び亡加藤信、亡佐渡島平四郎、亡星野正樹、亡那須義高、亡菅谷政一」と、同二三七枚目表九行目の「1」を「2」と各訂正し、同二四五枚目裏六、七行目及び同二四六枚目表六行目の各「および同柿沼和子」を、同九、一〇行目の「および同第五九号証の一・二」を各削除し、同二六〇枚目表六行目の「規定」の次に「(住宅火災保険約款三条三項、総合保険約款三条四項)」を付加し、同二六五枚目表二、三行目の「原告柿沼和子・同」を「被控訴人」と訂正し、同二六六枚目裏七行目の「弁論」から「四、」までを削除し、同二六九枚目表四行目の「するが、」の次に「証拠を検討してもその応訴態度がことさら不当であるとか、信義に反するとは到底認められないのみならず、」を付加する。

(二)  同二七〇枚目裏二行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、二七一枚目裏九行目の「二」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三〇号証の一九、二〇」を、同二七二枚目裏七行目の「一八」の次に「ないし二〇」を各付加し、同二七三枚目表一〇行目の「二〇・三七」を「二五・七五」と、同一〇、一一行目の「一〇・二」を「二〇・三七」と、同裏二、三行目を次のとおり各訂正する。

「計算式 1万6000円×0.994×1.2÷1.8×(5.38+20.37×0.5)×〔1−(0.03×10)〕=11万5521円

(但し、一一万三三三一円を越える部分は、附帯控訴の対象になっていないので、一一万三三三一円の限度で認める。)」

同二七四枚目裏二行目の「一八」の次に「ないし二〇」を付加する。

(三)  同二七五枚目裏二行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同二七六枚目表五行目の「一五」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三一号証の一六ないし一八」を各付加し、同八行目の「三二」を「三〇・七二七」と、同行目の「一四」を「一二・七二七」と、同裏二行目の「一一万〇八〇六円」を「一〇万七九八五円」と、同三、四行目を次のとおり各訂正する。

「計算式 4900円×0.004×(18+12.727×0.5)×〔1−(0.03×3)〕

=10万7985円」

同二七六枚目裏六行目の「一五」の次に「ないし一八」を、同二七七枚目表七行目の「一五」の次に「、一六」を、同裏八行目の「一五」の次に「ないし一八」を各付加し、同二七八枚目表八行目の「一二九六万〇八〇六円」を「一二九五万七九八五円」と訂正し、同裏一行目の「二」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三二号証の二二」を、同二八一枚目裏四行目の「さらに、」の次に「前掲甲第三二号証の二二、」を、同七行目の「一九」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三二号証の二三」を、同行目の「供述」の次に「及び弁論の全趣旨」を各付加する。

(四)  同二八五枚目表八行目の「九」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三四号証の一二」を、同裏三行目の「一一」の次に「、一二」を、同五行目、同二八六枚目裏一行目及び同二八九枚目表八行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同二九〇枚目表四行目の「二二」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三五号証の三六、三七」を、同九行目の「二六、」の次に「三六、」を各付加し、同裏四行目の「七一〇万円」を「七四八万二六九六円」と、同九行目の「四二〇万円」を「四五五万円」と、同一〇行目を次のとおり各訂正する。

「計算式 650万円×0.7=455万円」

(五)  同二九一枚目表二行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加し、同二九三枚目裏七行目の「二五五〇万円」を「二五八五万円」と訂正し、同一〇行目の「二」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三六号証の一五」を、同二九四枚目表五行目の「一四」の次に「、一五」を、同七行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同裏八行目の末尾に「一五、」を、同一〇行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同二九六枚目表四行目の「一四」の次に「、一五」を、同裏五行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同二九八枚目表七行目の「一四」の次に「、一五」を各付加する。

(六)  同二九九枚目表六行目、同裏九行目及び同三〇一枚目表五行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同三〇三枚目表五行目の「三」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三八号証の一四」を、同行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を各付加し、同裏九行目から一一行目までを次のとおり訂正する。

「計算式 30万9000円×0.994×115.69÷3.3×〔1−(0.015×9)〕+30万9000円×0.994×6.9÷3.3

=990万円>930万円(請求金額)」

同三〇四枚目表二行目の「一三」の次に「、一四」を、同三行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三〇五枚目表五行目及び同裏六行目の各「一三」の次に各「、一四」を、同八行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三〇六枚目表一〇行目及び同裏四行目の各「一三」の次に各「、一四」を各付加する。

(七)  同三〇七枚目裏一一行目及び同三〇八枚目表一〇行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を各付加し、同三〇九枚目表九行目の「カイブカイブキ」を「カイズカブキ」と訂正し、同三一〇枚目裏一行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三一一枚目裏五行目の「七」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四〇号証の八」を、同六行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三一三枚目裏五行目及び同三一三枚目表一一行目の各「七」の次に各「、八」を各付加する。

(八)  同三一五枚目表九行目及び同裏五行目の各「原告那須義高」を各「被控訴人小西美智子」と各訂正し、同一〇行目の「五」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲四一号証の一二」を、同行目、同三一六枚目裏八行目及び同三一八枚目裏六行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同三二〇枚目表三行目の次に改行のうえ、次のとおり各付加する。

「(7) 原告那須義高は、昭和六三年一二月一四日死亡し、被控訴人小西美智子が亡那須義高の右損害賠償請求権を相続したことは当事者間に争いがないから、被控訴人小西美智子は、亡那須義高についての右損害額の賠償を求めることができる。」

(九)  同三二〇枚目裏四行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三二一枚目裏五行目の「一三」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四二号証の一四並びに弁論の全趣旨」を、同三二三枚目表四、五行目、同裏七行目、同三二六枚目裏一、二行目及び同三二七枚目表六行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を各付加する。

(一〇)  同三二九枚目裏九行目の「に」を「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四三号証の三〇、」と訂正し、同一〇行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加し、同三三〇枚目表六行目の「三七」を「四七」と、同八、九行目を次のとおり各訂正する。

「計算式 4万円×0.994×1.0÷1.4×〔1−(0.03×2)〕

=2万6696円

(但し、一万八一七六円を越える部分は、附帯控訴の対象になっていないので、一万八一七六円の限度で認める。)」

(一一)  同三三二枚目裏一行目及び同三三三枚目裏九行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を各付加し、同三三四枚目表五行目の「個人」から同行目の末尾までを「死亡により同被控訴人が所有する家財として」と、同裏七行目の「一六八万円」う「二四〇万円」と、同八行目を次のとおり各訂正する。

「計算式 400万円×0.6=240万円」

同三三四枚目裏一一行目の「八」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四五号証の一〇」を付加し、同三三五枚目表九行目の「五〇七万三二六二円」を「五七九万三二六二円」と訂正する。

(一二)  同三三五枚目表一〇行目の「原告菅谷政一」を「被控訴人菅谷冨代子」と、同裏四行目の「同原告」を「被控訴人菅谷冨代子」と各訂正し、同裏九行目及び同三三八枚目表三行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同八行目の「損害額は」の次に「経年減価を考慮すると」を、同三三九枚目表六行目の次に改行のうえ、次のとおり各付加する。

「(7) 原告菅谷政一は、平成三年六月六日死亡し、被控訴人菅谷冨代子が亡菅谷政一の右損害賠償請求権を相続したことは当事者間に争いがないから、被控訴人菅谷冨代子は、亡菅谷政一についての右損害額の賠償を求めることができる。」

(一三)  同三三九枚目裏五行目及び同三四一枚目表七行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同裏一〇行目の「二五」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四七号証の二六」を、同一一行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三四三枚目表六行目の「二五」の次に「、二六」を、同三四四枚目裏五行目の「出捐し、」の次に「本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害として、少なくとも」を、同三四六枚目裏三行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を各付加する。

(一四)  同三四八枚目裏一行目の「三」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第四八号証の三四、同第四九号証の五」を、同三行目の「事実」の次に「に加えて、被控訴人内藤美代子は、右着付教室のための経費(電気料、ガス料、石油代金)として、金四万七六六九円を支出したこと」を各付加し、同六行目の「一〇八万三六〇〇円」を「一〇三万五九三一円」と、同七行目の「原告星野正樹」を「被控訴人星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹」と、同三四九枚目表一行目の「同原告」を「被控訴人星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹」と各訂正し、同六行目の「六」の次に「、八」を、同七行目及び同三五〇枚目裏六行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を、同三四九枚目裏一〇行目の「徴すれば、」の次に「本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害として」を、同三五一枚目裏五行目の次に改行のうえ、次のとおり各付加する。

「(6) 原告星野正樹は、昭和六三年九月三〇日死亡し、被控訴人星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹が亡星野正樹の右損害賠償請求権を相続したことは当事者間に争いがないから、同人の右損害額について、被控訴人星野ミエ子は、その二分の一の、同星野冬樹、同星野智樹は、その各四分の一の賠償をそれぞれ求めることができる。」

(一五)  同三五二枚目表四行目、同三五四枚目表四行目、同三五六枚目表七行目及び同三五八枚目表一行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を各付加し、同三五九枚目表三行目の「原告佐渡島平四郎」を「被控訴人佐渡島をさめ」と訂正し、同裏九行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三六一枚目裏九行目の次に改行のうえ、次のとおり各付加する。

「(4) 原告佐渡島平四郎は、昭和六〇年一二月四日死亡し、被控訴人佐渡島をさめが亡佐渡島平四郎の右損害賠償請求権を相続したことは当事者間に争いがないから、被控訴人佐渡島をさめは、亡佐渡島平四郎についての右損害額の賠償を求めることができる。」

(一六)  同三六二枚目表九行目の「五」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第五六号証の七」を、同行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同三六三枚目表六行目の「六」の次に「、七、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第五六号証の八ないし一一」を、同三六四枚目表四行目及び同三六五枚目裏五行目の各「供述」の次に各「並びに弁論の全趣旨」を各付加する。

(一七)  同三六七枚目表四行目から同三七〇枚目表四行目までを削除し、同表五行目の「(三二)」を「(三一)」と訂正し、同裏九行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加し、同三七一枚目表四行目の「一五一五円」を「二四一五円」と、同七行目の「六六一〇円」を、「七五一〇円」と、同裏五行目の「15,871,515円」を「15,872,415円」と各訂正し、同一〇行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加し、同三七二枚目裏五行目の「三四」を「五三」と訂正し、同三七三枚目表三行目の「供述」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加する。

(一八)  同三七四枚目表九行目の「原告加藤」から同一〇行目の「加藤信」までを「被控訴人加藤ハル、同佐渡島をさめ、同星野ミエ子、同星野冬樹、同星野智樹、同小西美智子、同菅谷冨代子を除く被控訴人ら及び亡加藤信、亡佐渡島平四郎、亡星野正樹、亡那須義高、亡菅谷政一」と訂正し、同裏三行目の「加藤信の」の次に「、被控訴人佐渡島をさめは亡佐渡島平四郎の、同星野ミエコ、同星野冬樹、同星野智樹は亡星野正樹の、同小西美智子は亡那須義高の、同菅谷冨代子は亡菅谷政一の」を、同裏五行目の「難易度、」の次に「本件訴訟の経過、」を、同七行目の「費用は、」の次に「第一、二審、上告審を通じ」を各付加し、同行目の「」を「⑤」と訂正し、同八行目の末尾に次のとおり付加する。

「 なお、被控訴人らは、各審級ごとの弁護士費用を格別に請求している。しかしながら、訴訟の一体性に鑑みると本件災害と相当因果関係にある弁護士費用は、前述したとおり別紙認容金額一覧表の⑤の弁護士費用合計欄記載の金員の範囲で認めるのが相当であるところ、右遅延損害金の起算日については被控訴人らの附帯控訴の趣旨に鑑み、同表の③欄と④欄に分割し遅延損害金の起算日を異にして支払を命ずるのが相当である。」

2  控訴人の当審における主張に対する判断

(一)  控訴人のC方式の過大性に関する主張について

控訴人は、昭和三〇年に小田急電鉄株式会社が被控訴人らに分譲した建物の価格は坪当たり三万七四〇〇円を超えず、簡易評価基準表の建築費倍率表によれば、昭和四九年一二月を一とすれば、同三〇年三月は5.50であり、これによって被控訴人伊藤芳男、同尾崎信夫、亡那須義高所有の家屋のうち増築部分を除く部分をB方式で計算すると、C方式で算定した価格は全てB方式で算定した価格の約1.5倍程度となっているので、仮にC方式を採用するのであれば、C方式で算定した損害額に1.5分の一を乗じて修正すべきである旨主張する。

前認定事実に加えて、<書証番号略>、被控訴人伊藤芳男、同尾崎信夫、同小西信一各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人伊藤芳男は、昭和三〇年二月に木造スレート葺平屋建居宅49.56平方メートルを購入し、その後同建物に廊下と物置を設置し、同四〇年一一月には木造瓦葺二階建居宅49.58平方メートルを増築し、さらに同四一年五月には旧建物を増築するとともに同屋根に鉄骨物干場を設置したこと、同被控訴人は、二、三年おきに同建物のペンキの塗替えをし、また浴室のタイルを張り替える等して右建物の維持、改善に努力してきたこと、被控訴人尾崎信夫は、昭和三〇年二月に木造スレート葺平屋建居宅39.66平方メートルを購入し、同三九年五月に応接間及び廊下を増築するとともに浴室をタイル張ガス風呂に改造し、同四八年五月に木造亜鉛メッキ鋼板葺二階49.58平方メートルを増築し、玄関、台所を新しくする等して右建物の改善に努力してきたこと、亡那須義高は、昭和三〇年二月に木造スレート葺平屋建居宅41.71平方メートルを購入し、同三八年に台所、洗面所、風呂場を広げ(増築面積12.95平方メートル)、同四一年九月には一階を9.065平方メートル増築するとともに二階(増築面積21.011平方メートル)部分を増築する等して右建物の改善に努力してきたことが認められ、他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実のとおり、被控訴人伊藤芳男、同尾崎信夫及び亡那須義高は、昭和三〇年二月に小田急電鉄株式会社から土地建物を購入して以来本件災害時までの約二〇年間に数回にわたってその所有建物を増改築する等して同建物の維持、改善に努力してきたため、同建物は本件災害時には購入時の建物の原型をほとんど留めない状態になっていたのであるから、<書証番号略>の土地付住宅売買予約証書の代金額の記載を基準として簡易評価基準表の建築費倍率を単純に当てはめてB方式で本件災害時の各建物の価格を算定することがC方式で各建物の価格を算定することよりもより合理的であるとは到底いえない。また、控訴人が主張するようにC方式で算定した価格が全てB方式で算定した価格の約1.5倍程度となっているとも認められず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠もないので、控訴人の右主張は採用できない。

(二)  B方式の建築費倍数について

控訴人は、B方式において物価等の上昇を加味して建築費をとらえるには、簡易評価基準表の建築費用倍数を採用すべきではなく、「建設デフレーター」を採用するのが合理的である旨主張する。

しかしながら、「建設デフレーター」は公共投資の投資効果をはかるために作成されたものであって、民間の住宅建築費の推移を明らかにするためのものではないこと、また、「建設デフレーター」の示す工事費の変動率は、卸売物価指数の変動に影響を受けるものとなっているが、卸売物価指数と消費者物価指数とは必ずしも対応しないので、住宅建築費の変動の推移を的確に反映するものではないこと等に鑑みると、B方式において物価等の上昇を加味して建築費をとらえるには「建設デフレーター」を採用するのが合理的であるとは到底いえない。したがって、控訴人の右主張は採用できない。

(三)  逸失利益について

控訴人は、被控訴人宅間三千夫、同内藤美代子、同加藤ハル、同百々洋子は得ることができたはずの貸家等の収入を逸失利益として請求しているが、右収入から税金、維持修繕費等の経常経費分を控除すべきであるところ、アパート経営に伴う経費率は平均的に収入の八パーセントと認められ、着物教室も同様と認められるので、被控訴人宅間三千夫につき三万九二〇〇円を、同内藤美代子につき八万六六八八円を、同加藤ハル、同百々洋子につき各八万一一二〇円をそれぞれ控除すべきである旨主張する。

前認定事実に加えて、被控訴人宅間三千夫、同百々洋子各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人宅間三千夫は、昭和三〇年二月に新築した木造スレート葺平屋建居宅を同四〇年一〇月に全面的に取り壊して木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建共同住宅(同四九年七月に増築)を建築し、その共同住宅の一部を被控訴人竹内久夫らに賃貸していたこと、亡加藤信、被控訴人百々洋子は、昭和四八年三月に木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建共同住宅を建築し、その共同住宅の一部を被控訴人加藤力らに賃貸していたこと、被控訴人宅間三千夫及び亡加藤信、被控訴人百々洋子は、右各共同住宅がいずれも建築後さほど期間が経過していないこともあって、本件災害当時、右各共同住宅を特に修繕ないし補修しなければならないような事情はなかったことが認められる。

したがって、被控訴人宅間三千夫及び亡加藤信、被控訴人百々洋子は、本件災害当時、同人らが右各共同住宅を維持、修繕するために経費を支出した事実を認めることはできず、まして、同人らが右アパート経営に伴い税金を含め収入の八パーセントを経常経費として支出していることを認めるに足りる的確な証拠はない。

また、前認定事実によれば、被控訴人内藤美代子は、夫である被控訴人内藤正信所有の居宅で着物教室を営んでいるが、右教室の経費として光熱費等を計上するほか、他に被控訴人内藤美代子が右教室の経営のために収入の八パーセントを経常経費として支出していたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

よって、逸失利益についての控訴人の右主張は、前記認定の被控訴人内藤美代子の光熱費等を除き、採用できない。

3  被控訴人らの当審における主張に対する判断

被控訴人らは、家財の所有権は全て世帯主(夫)にあり、仮にそうでなくても世帯主が家財を補填する責任があるから、世帯主は家財全部につき損害賠償請求をすることができると主張する。しかしながら、「家財簡易評価表」は、保険金請求の簡易・迅速な処理を図るため個々の家財の所有権の帰属を問題としていないのであるから、家財の所有権の帰属を前提とし、所有権の侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求において、右表をそのまま採用することはできない。ところで、家財の所有権が誰に帰属するかは家族の生活の態様により一様ではないともいえるが、少なくとも、一般的にみて、家財のうち、世帯主(夫)又は妻の所有に帰属するもの、夫婦の共有に属するもの(民法七六二条)、子や父母などの夫婦以外の者に帰属するものがありうることは否定することができない。本件災害のように多種多様な家財をほとんど一挙に流失し、家財の内容やその帰属者を的確に把握することが極めて困難であり、また的確な立証のない事案においては、同表のうち、子や成人家族の加算分はそれぞれの者に帰属する家財分とし、原判決が認定・判断するような手法で、夫婦のみの家財のうち一定割合を世帯主に帰属する家財とみることはあながち不合理とはいえない。そうすると、世帯主が損害賠償請求権を行使できるのはそれのみに限られることは当然である。なお、被控訴人らの主張のうち、所有権の帰属を離れても世帯主が全て家財について損害賠償請求権を行使できるとの点は、不法行為に基づく損害賠償請求とはあいいれないから採用できない。

六結論

以上の理由によれば、弁護士費用を除く損害金額につき、被控訴人伊藤芳男、同伊藤美代子については原審の認容額を別紙認容額一覧表②欄記載のとおり減額し、同柏木克己、同渡辺規男については原審の認容額を同欄記載のとおり増額し、その余の被控訴人らについては原審の認容額を相当と認め、弁護士費用につき、被控訴人ら全員について同表⑤欄記載のとおり原審の認容額を増額することとなる。そうすると、被控訴人らの本訴各請求は、控訴人に対し、別紙認容金額一覧表の①認容合計金額欄記載の各金員及び内同表②弁護士費用を除く損害金額欄記載の各金員に対する本件不法行為の日以降である昭和四九年九月四日から、内同表③弁護士費用欄記載の各弁護士費用の一部の各金員に対する本件不法行為の日以降である同五四年一月二六日から、内同表④弁護士費用欄記載の各弁護士費用の残部の各金員に対する本社不法行為の日以降である同六二年九月一日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の被控訴人らの各請求はいずれも理由がない。

よって、被控訴人伊藤芳男及び同内藤美代子につき本件各控訴及び本件各附帯控訴に基づき、その余の披控訴人らにつき本件各附帯控訴に基づき、原判決を主文のとおり変更し、控訴人のその余の本件各控訴は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九五条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官時岡泰 裁判官大谷正治 裁判官滝澤雄次)

(別紙)当事者目録

控訴人兼附帯被控訴人         国

右代表者法務大臣 田原隆

右指定代理人 柴田俊文

外一六名

被控訴人兼附帯控訴人 武田孝

同 石原博夫

同 伊藤芳男

同 井上義彦

同 岩井健三

同 尾崎信夫

同 柏木克己

同 木村昭久

同 鈴木正男

同 宅間三千夫

同 武田光子

同 辰巳栄憲

同         亡那須義高訴訟承継人

小西美智子

同 横山十四男

同 吉澤四郎

同 吉澤照代

同 渡辺規男

同         亡菅谷政一訴訟承継人

菅谷冨代子

同 田村明

同 内藤正信

同 内藤美代子

同         亡星野正樹訴訟承継人兼星野冬樹及び智樹法定代理人

星野ミエ子

同         亡星野正樹訴訟承継人

星野冬樹

同         亡星野正樹訴訟承継人

星野智樹

同 小川元嗣

同 加藤力

同 黒田豊

同 小西信一

同         亡佐渡島平四郎訴訟承継人

佐渡島をさめ

同 竹内久夫

同 中納博臣

同 水野善之

同         亡加藤信訴訟承継人

加藤ハル

同 百々洋子

右三四名訴訟代理人弁護士 竹沢哲夫

同 豊田誠

同 高橋利明

同 田岡浩之

同 横尾邦子

同 岡田尚

同 篠原義仁

同 村野光夫

同 藤原寛治

同 犀川千代子

同 今井敬弥

同 羽倉佐知子

(別冊)控訴人の主張<省略>

被控訴人の主張<省略>

別紙

認容金額一覧表

被控訴人

(氏名)

①認容金額合計

②弁護士費用を除く損害金額

③弁護士費用の

内金

④弁護士費用の

内金

⑤弁護士費用の

合計

武田 孝

五九九万円

五三五万円

四三万円

二一万円

六四万円

石原 博夫

一三八四万四九六三円

一二三六万四九六三円

九九万円

四九万円

一四八万円

伊藤 芳男

一四五〇万七九八五円

一二九五万七九八五円

一〇四万円

五一万円

一五五万円

井上 義彦

二九〇〇万二九三四円

二五九〇万二九三四円

二〇七万円

一〇三万円

三一〇万円

岩井 健三

三九七万三〇五〇円

三五五万三〇五〇円

二八万円

一四万円

四二万円

尾崎 信夫

一七三七万二八七二円

一五五一万二八七二円

一二四万円

六二万円

一八六万円

柏木 克己

二八九五万円

二五八五万円

二〇四万円

一〇六万円

三一〇万円

木村 昭久

一八九七万九三〇二円

一六九四万九三〇二円

一三六万円

六七万円

二〇三万円

鈴木 正男

二一八九万五五八五円

一九五五万五五八五円

一五六万円

七八万円

二三四万円

宅間 三千夫

一九〇五万一八一五円

一七〇一万一八一五円

一三六万円

六八万円

二〇四万円

武田 光子

八七一万二〇〇〇円

七七八万二〇〇〇円

六二万円

三一万円

九三万円

辰巳 栄憲

一七七六万八〇一二円

一五八六万八〇一二円

一二七万円

六三万円

一九〇万円

小西 美智子

一一六二万三六四九円

一〇三八万三六四九円

八三万円

四一万円

一二四万円

横山 十四男

二〇六三万七六五六円

一八四二万七六五六円

一四七万円

七四万円

二二一万円

吉澤 四郎

七三四万八〇〇〇円

六五六万八〇〇〇円

五二万円

二六万円

七八万円

吉澤 照代

七二九万五三六五円

六五一万五三六五円

五二万円

二六万円

七八万円

渡辺 規男

六四八万三二六二円

五七九万三二六二円

四一万円

二八万円

六九万円

菅谷 冨美子

四六二万六一三八円

四一三万六一三八円

三三万円

一六万円

四九万円

田村 明

四八七万三〇〇一円

四三五万三〇〇一円

三五万円

一七万円

五二万円

内藤 正信

七九六万〇三〇五円

七一一万〇三〇五円

五七万円

二八万円

八五万円

内藤 美代子

一一五万五九三一円

一〇三万五九三一円

九万円

三万円

一二万円

被控訴人

(氏名)

①認容金額の合計

②弁護士費用を除く

損害金額

③弁護士費用の

内金

④弁護士費用の

内金

⑤弁護士費用の

合計

星野 ミエ子

一九三万二二〇〇円

一七三万二二〇〇円

一四万円

六万円

二〇万円

星野 冬樹

九六万六一〇〇円

八六万六一〇〇円

七万円

三万円

一〇万円

星野 智樹

九六万六一〇〇円

八六万六一〇〇円

七万円

三万円

一〇万円

小川 元嗣

一一六万円

一〇四万円

八万円

四万円

一二万円

加藤 力

一〇六万三八八〇円

九五万三八八〇円

八万円

三万円

一一万円

黒田 豊

一四八万二五〇〇円

一三三万二五〇〇円

一一万円

四万円

一五万円

小西 信一

三四七万円

三一〇万円

二五万円

一二万円

三七万円

佐渡島 をさめ

五一五万円

四六〇万円

三七万円

一八万円

五五万円

竹内  久夫

一七五万〇二三二円

一五七万〇二三二円

一三万円

五万円

一八万円

中納 博臣

一六二万円

一四五万円

一二万円

五万円

一七万円

水野 善之

一八四万六九二二円

一六五万六九二二円

一三万円

六万円

一九万円

加藤 ハル

一〇一四万四〇〇〇円

九〇六万四〇〇〇円

七二万円

三六万円

一〇八万円

百々 洋子

一〇一四万四〇〇〇円

九〇六万四〇〇〇円

七二万円

三六万円

一〇八万円

別紙

請求金額一覧表

被控訴人

(氏名)

①請求金額合計

②弁護士費用を除く

請求金額

③原審の弁護士

費用額

④控訴審の

同費用額

⑤上告審差戻審の

同費用額

武田 孝

一一一七万円

九〇〇万円

四三万円

八四万円

九〇万円

石原 博夫

二三五六万四九六三円

一八八六万四九六三円

九九万円

一八三万円

一八八万円

伊藤 芳男

二三四四万〇八〇六円

一八七一万〇八〇六円

一〇四万円

一八二万円

一八七万円

井上 義彦

四〇四〇万二九三四円

三一九〇万二九三四円

二〇七万円

三二四万円

三一九万円

岩井 健三

五二四万三〇五〇円

四一五万三〇五〇円

二八万円

四〇万円

四一万円

尾崎 信夫

二六八二万五八七二円

二一三五万五八七二円

一二四万円

二一〇万円

二一三万円

柏木 克己

四〇四二万円

三一九五万円

二〇四万円

三二四万円

三一九万円

木村 昭久

二七五一万三三〇二円

二一八一万三三〇二円

一三六万円

二一六万円

二一八万円

鈴木 正男

三一二〇万五五八五円

二四七〇万五五八五円

一五六万円

二四七万円

二四七万円

宅間 三千夫

二七五九万六八一五円

二一八八万六八一五円

一三六万円

二一七万円

二一八万円

武田 光子

一〇〇一万二〇〇〇円

七七八万二〇〇〇円

六二万円

八四万円

七七万円

辰巳 栄憲

二四四九万三〇一二円

一九三八万三〇一二円

一二七万円

一九一万円

一九三万円

小西 美智子

一六六九万三六四九円

一三二四万三六四九円

八三万円

一三〇万円

一三二万円

横山 十四男

三〇二三万五一五六円

二三九八万五一五六円

一四七万円

二三八万円

二三九万円

吉澤 四郎

一四五〇万円

一一七四万円

五二万円

一〇七万円

一一七万円

吉澤 照代

八三八万五三五六円

六五一万五三五六円

五二万円

七〇万円

六五万円

渡辺 規男

九九三万三二六二円

七九九万三二六二円

四一万円

七四万円

七九万円

菅谷 冨美子

七二九万九五三八円

五八四万九五三八円

三三万円

五四万円

五八万円

田村 明

八一八万七二三六円

六五七万七二三六円

三五万円

六一万円

六五万円

内藤 正信

一一〇〇万〇三〇五円

八七一万〇三〇五円

五七万円

八五万円

八七万円

内藤 美代子

一三八万三六〇〇円

一〇八万三六〇〇円

九万円

一一万円

一〇万円

被控訴人

(氏名)

①請求金額合計

②弁護士費用を除く

請求金額

③原審の弁護士

費用額

④控訴審の

同費用額

⑤上告審差戻審の

同費用額

星野 ミエ子

三二五万六〇〇〇円

二六二万一〇〇〇円

一四万円

二三万五〇〇〇円

二六万円

星野 冬樹

一六二万八〇〇〇円

一三一万〇五〇〇円

七万円

一一万七五〇〇円

一三万円

星野 智樹

一六二万八〇〇〇円

一三一万〇五〇〇円

七万円

一一万七五〇〇円

一三万円

小川 元嗣

三一〇万円

二五五万円

八万円

二二万円

二五万円

加藤 力

二一三万三二〇〇円

一七四万三二〇〇円

八万円

一四万円

一七万円

黒田 豊

二七九万円

二二六万円

一一万円

二〇万円

二二万円

小西 信一

七一三万円

五七五万円

二五万円

五六万円

五七万円

佐渡島 をさめ

一〇一〇万円

八一五万円

三七万円

七七万円

八一万円

竹内 久夫

三二九万七九二〇円

二六六万七九二〇円

一三万円

二四万円

二六万円

中納 博臣

二九一万円

二三五万円

一二万円

二一万円

二三万円

水野 善之

三四三万八四六〇円

二七八万八四六〇円

一三万円

二五万円

二七万円

加藤 ハル

一二二〇万九〇〇〇円

九五三万九〇〇〇円

七二万円

一〇〇万円

九五万円

百々 洋子

一二二〇万九〇〇〇円

九五三万九〇〇〇円

七二万円

一〇〇万円

九五万円

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